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2013/8/2 金曜日

SFセミナー2008「Specuatlive Japan始動!」聴講記

Filed under: イベント, 報告 — Akira OKAWADA @ 18:53:45

※本稿は2008年5月3日に開催されたイベント「SFセミナー2008」の筆頭を飾った「Speculative Japan始動!」の聴講記(執筆:2008年6月)をご紹介するものです。当時、筆者はspeculativejapanのメンバーではなく、内容の正確性について、参加者のチェックを受けてはおりません。イベントの雰囲気を理解する一助という形でご利用いただければ幸いです。なお、聴講者のなかには、故・伊藤計劃氏の姿があったことを付記しておきます。

●ニューウェーヴ/スペキュレイティヴ・フィクションとは

昨年、横浜で開催された「ワールドコン・Nippon2007」にて、パネル「ニューウェーヴ/スペキュレイティヴ・フィクション」が開催された。
おおまかに説明すればニューウェーヴ(SF)/スペキュレイティヴ・フィクションとは、狭義には1960年代を中心に起こったSFの変革運動のことを意味する。
例えば、近代文学が個人と世界の間の軋轢を描くことで内側から社会性を描くものだとすれば、従来のSFは、科学というフレームをもって外側から社会のモデルを浮き彫りにするものだった。
SFのテーマとしてよく用いられる「外宇宙」は、いまだ謎に満ちた空間でありながら、我々が生きている現在を相対化するにはまことに都合のよいものである。
しかしながら、「外宇宙」に代表されるフレームのみにこだわりすぎると、それによって囲い込まれる主体そのものに対する考察がおざなりになる場合がある。
世界に囲い込まれる主体が、世界そのものを見詰め返すという観点――それを例えば「内宇宙」と呼ぶとしよう――も、忘れられるべきではない。
いや、ともすれば「外宇宙」以上に「内宇宙」は重要となる。
かような問題意識から、パルプ雑誌の申し子として「ハリウッド的」なアメリカの代名詞ともとられたSFというジャンルを、再定義しようという動きが生まれた。
それがニューウェーヴSF、あるいはスペキュレイティヴ・フィクションの歴史的な出発点である。

●ワールドコンの余波

ワールドコン・Nippon2007のパネルでは、荒巻義雄・山野浩一という、かつて激しく論争を繰り広げながら日本SFの基礎を造り上げた作家・批評家両名を筆頭に、川又千秋、増田まもる、巽孝之、飛浩隆など、日本のニューウェーヴ・ムーヴメントに深く関わった人々が結集し、熱く意見を戦わせた。
ワールドコンがもたらした共振作用はイベントが終わった後も続き、「Speculative Japan」というグループが発足するに至った。
それが今回の「SFセミナー」でのイベントに繋がる流れである。

そもそも「Speculative Japan」とは、グラニア・ディヴィス、ジーン・ヴァーン・トロワイヤーらが編集した日本SF傑作選『Speculative Japan』の名前に由来する。
同傑作選には、荒巻義雄の「柔らかい時計」や山野浩一の「鳥はいまどこを飛ぶか」をはじめ、ニューウェーヴSFの傑作として評される作品の英訳版が、多数収録されている。収録作には「ニューヨーク・タイムズ」などで、高い評価を受けているものも少なくない。
かような状況を享けて、発表当時には難解というレッテルを張られ敬して遠ざけられていたニューウェーヴ/スペキュレイティヴ・フィクションを、むしろ「今こそ時代がニューウェーヴに近づいた」と再評価することで、SFをシリアスに語ることのできる土台を構築すべきではないか。
荒巻義雄はSFセミナーのパネルの開口一番、挑発的に繰り出した。

●ニューウェーヴの撒いた種

荒巻は続ける。ポストモダンの哲学理論をうまく用いれば、SFの独自性、現代性をうまく言葉にすることができると。
つまり、理論武装が必要なのだ。
その発言を聞いた山野浩一は、「かつては哲学に意義があるとみなされた。自分の世代はサルトルやハイデガーを必死に読んだものだが、今はそのような時代ではなくなった」と、「哲学の死」をシニカルに語りながらも、「カイエ」や「遊」といった雑誌の意義についても言及する。
さらには、作家の高橋源一郎が(山野浩一の)自宅を訪れた際にサンリオSF文庫の棚をずっと食い入るように見ていたというエピソードなども織り交ぜつつ、「衰退」のさなかにあっても、哲学と文学の融合を目論んだニューウェーヴ的な視座が失われたわけではないということをやんわりと語った。
現に、山野氏は20年以上のインターバルを経て『山野浩一傑作選』(仮)が、東京創元社から発売される予定だという(註:2011年に『鳥はいまどこを飛ぶか 山野浩一傑作選I』、『殺人者の空 山野浩一傑作選Ⅱ』が刊行)。
川又千秋は文学と哲学の融合という見地から、文学の制度的な逆説性について語った。
文学がリアリズムを問題とする限り、リアリズムを相対化するSF的思想とは不可分であるにもかかわらず、なぜかSFは理解されずにきた。
しかしSFの手法では、(ゴシック的な)伝統への回帰と、新しい装いのもとで伝統が復活する、その両方が同時に可能となる。
こうした特性は再考されても良いのではないかと、川又は告げた。
巽孝之は笙野頼子に、現代文学におけるニューウェーヴSFへの共振性を見い出した。
そもそもニューウェーヴSFのパネルをNippon2007で行おうと計画したのは、例年のワールドコンで毎年ニューウェーヴ系のパネルが立つという英語圏のSF界における伝統に則る心づもりがあったからだが、実際に開催してみると、日本においてもニューウェーヴSFの撒いた種が色々と再確認できたという。
現に、ワールドコンの『アヴァン・ポップ』パネルに参加していた笙野頼子が、荒巻義雄に「大いなる正午」を読んだものだと声をかけた事例があるという。
この事例に象徴されるかのように、ニューウェーヴ的なモードが着実に浸透している。
こうした状況を巽は概説してみせた。

●理論構築の必要性

ふたたび荒巻が言うには、当時、SFの主要な「輸入源」であったアメリカSFに飽き足らない人たちがファンダムを形成し、アメリカSFをうまく換骨奪胎して理論的な裏付けを創り出そうとしていた。
それから40年。再びSFの理論的な側面に注意を集めるようになったいまでは、例えばクリステヴァの「アブジェクト」(中間存在)という概念に代表されるポストモダン哲学を軸にした理論的な土台構築の重要性を最重視するようになってきたということだ。
現に、筒井康隆を「Speculative Japan」に誘ったら、「今頃“新しい波”か」と笑われた。
しかし、「いつでも“新しい波”だ」と答えたら、妙に納得していたという。
このようなエピソードを、荒巻は披瀝した。
筒井康隆の名前に、すかさず巽が応じる。
筒井康隆が用いた比喩は、「濫(乱?)喩」とでも言うべきものだ。
くだらないダジャレのように見えても、換喩、提喩などの既存の比喩の文脈では表現できなかった事柄をうまく拾い上げた。
こうした筒井康隆の苦闘を、川又が創作の難しさという観点から引き継ぐ。
「SFは嘘を描くものだが、その嘘を伝える方法はなかなか難しいもの」という含みがそこには見られた。
現に、川又氏の『ラバウル烈風空戦録』という架空戦記には、ニューウェーヴ的な問題意識が籠められているのだという。

●SFという形式

増田まもるは、創作と比喩との関係性を、翻訳という観点から再考する。
スペキュレイティヴ・フィクションは往々にして、思弁性を重視するあまり表現の凝集性が増し、比喩に対応する日本語を見つけることが困難になる。
こうした比喩の問題は、フィクションとしてのSFの形式にも関わる問題にも繋がる。
E・R・バロウズも、そもそも馬鹿正直に火星がああいうものだとは思っていなかった。
J・G・バラードも、外宇宙と内宇宙を峻別したかのように言われるが、もともと比喩のなかでは、構造としての外宇宙と思弁としての内宇宙は、SFという形式のなかでひとつになっていた。
SFの形式性に話がシフトしたところで、荒巻が応じる。
いわゆる自然主義リアリズムでは語り尽くせない問題があることから、SFは形式に対して、極めて敏感だった。
SFでは当たり前のことが、文学の世界では凄いこととされていた。
筒井康隆も、こうした形式性を生活レベルから実践していたし、評論『虚構船団の逆襲』を「ユリイカ」へ発表したりもした。
とりわけ、筒井の差別問題への挑戦を荒巻は高く評価し、タブーに挑戦しないと新しいものが出てこない、と告げた。
ここでもやはり、哲学的なフレームは重要で、荒巻はガストン・バシュラール『物の精神分析』の、原初的なレベルでの「モノ」再考を紹介することで、理論のみが先行しうる、新しい手がかりを模索しようとした。

●質疑応答

質疑応答の時間では、客席にいた牧眞司が、ニューウェーヴの現在性について、とりわけニューウェーヴ当時の基準に照らし合わせて、川上弘美や笙野頼子は鑑賞に堪えうるのか、あるいは(荒巻/山野的な経緯を経ずして)他にニューウェーヴ的な作家は現存するのかなどと、挑発的に問いかけた。
巽は牧の質問に対し、やや捻れの位置で言葉を返す。
例えば、笙野頼子の『水晶内制度』は、ジェンダー、あるいは国家論(国家身体)のレベルから、スペキュレイティヴ・フィクションのフレームをさらに押し広げたものとなっていた。
さらには、バラードの『楽園への疾走』など、笙野や筒井が抱いていたのと同種の問題意識を、さらに拡大発展させた内容となっている。同種の事は川上弘美とケリー・リンクの関係にも当て嵌めることができる。伊藤計劃や円城塔のようなまったく新しい作家も出てきた。
かつて、川又千秋は「夢の言葉、言葉の夢」にて、「状況が痙攣するとき、分析は創造を模倣した」と語ったが、同種の現象が現代でも起こりうるのではないか、そこにこそ、スペキュレイティヴ・フィクションの新たな可能性があるのではないかと巽氏は提示した。

●「Speculative Japan始動! 番外編」

SFセミナーの合宿では、本会のパネラーが車座になって話を続けた。こちらは、荒巻のフランクかつ雑多な形式で話が進められていった。
荒巻×山野論争が結果的に、スペキュレーションの意義を問い直し、新たな理論の登場をもたらしたように、境界解体を進めることで、SFの射程を広げるという意識が重要だと宣言された。
また、『百億の昼と千億の夜』に繋がる話として、ジェンダーや部落差別、ひいては土着性や少数民族の問題などにもSF的な観点から切り込めるのではないかという提言(これはアヴァン・ポップ作家・向井豊昭の問題にも通じるものがあるだろう)、荒巻氏が提唱した〈術〉の概念が有した概念の普遍性の問題、「怪物」なるものをどう理解するかというSF史の伝統的問題との接続、ヤスパースなど西洋哲学と東洋哲学との融合の可能性など、話題は自在に広がっていった。
結果的には、こうした射程を現在の日本SFを語る問題にも応用できるかが重要になってくる。
また、通史として、巽孝之の『日本SF論争史』は必須文献だという確認とともに、80年代以降のニューウェーヴ的な問題意識の「浸透と拡散」を問い直すにあたっては、ラディカルかつ創発的な川又千秋の評論集『夢の言葉、言葉の夢』の読み直しが有効であるとの示唆もなされた。

(岡和田晃)

2013/7/31 水曜日

シュテファン・ゲオルゲ【立像】の彫塑性について

Filed under: 評論 — Akira OKAWADA @ 15:46:48

 ヴァルター・ベンヤミンはその論文『フリードリヒ・ヘルダーリンの二つの詩作品』において、従来、ギリシア古典悲劇にばかり向けられてきた美学的注釈を、そのままヘルダーリンの叙情詩に当てはめることで、詩の内的形式を指し示そうと試みた。
 そのための基底として、ベンヤミンは、自らの博士論文『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』にて、芸術作品の外的な形式と内的な形式の融合の必然性を見出し、フリードリヒ・シュレーゲルやノヴァーリスら「ロマン主義者」たちによる、無限に「反省」を繰り返し、形式そのものを<絶対的形式>の高みへと進めようとする姿勢を浮き彫りにして見せた。確かに、彼らの小説においては、このような内実と形式が見合う必然性の割合が、他の者の作品よりも飛躍的に高くなっていることは疑い得ない。
 それを突き詰めれば、ジェルジ・ルカーチが、『小説の理論』で説く、「世界が神から見捨てられた時代」の悲劇に行き着く。ルカーチが憧憬を込めて語る、「世界と自我、光と火は截然と分かたれてはいるが、しかし両者はけっして永遠に無縁であることはない。というのは、火とはどの光の魂でもあり、またどの火も光となって発現するからである。こうして、心情のあらゆる行為は、この二元性のうちにあって意味にみたされたものになり、円かになる。すなわち、それは意味のうちに、また意味に対して完成している」(『小説の理論』p.9)ような時代は、もはや遠くのものになってしまっているが、かような分裂症的世紀において、世界と自我との(乖離ではなく)合一を語る文学形式について考えてみれば、まず詩作品という文学形式が念頭に浮かぶ。

 このことは、詩作品に与えられる評価の基準を考えてみてもまた明らかだ。詩作品の価値は、詩人が自らに課した詩的課題をどのように克服したか、という点よりも、その「課題そのものの真摯さ(Ernst)と偉大さ(Grosse)」(「フリードリヒ・ヘルダーリンの二つの詩作品」、『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』p.268)という部分に存在する。
 すなわち、詩作品は、小説のように必ずしも<世界>と<自己>との乖離を謳わずともよい。ベンヤミンの言葉を借りれば、詩作品は固有の「圏域」に己を閉じこめることで、作品自体の自立性を獲得するのだから。
 当然ながら、「圏域」は、普遍的なものではない。ベンヤミンは、このような個別的「圏域」を<詩作されてあるもの>と呼び、詩作品に宿る真理は、この中に位置し、客観的な芸術的成果として認識されなければならない、と定義づける。
 だが、<詩作されてあるもの>は、個別的でありながらも、別の観点から見れば普遍性を有する。それは、精神的秩序と直感的秩序の融合、すなわち「綜合的統一」によるものである。<詩作されてあるもの>は、この統一を自らの内的形式として宿さねばならない。そして、「総合的統一」は、単に統一されているだけではなく、「機能的結合状態が解きほぐれた」状態である必要がある。すなわち、構成要素のあらが見えているような状態では、詩作品は優れたものとして成立し得ないのだ。

 けれどもベンヤミンは、あえてこの「内的接合」されたものを分解することで、詩作品を構成する根本的諸要素を考察しようとする。それは、詩作品に対する価値判断の基準、すなわち「境界規定」を明確にすることで、その発展の可能性を高めようとの意図に基づくものだった。
 この後、ベンヤミンはヘルダーリンの詩を具体的に検討しようと試みるのであるが、その前に、彼は、重大で示唆に富んだ記述を為している。

「生が、究極の統一として、<詩作されてあるもの>の根底をなしている。しかし、詩作品の分析が直感の形姿化(Gestaltung)およびなんらかの精神世界の形成(Konstruktion)に出会うこともなく、その詩作品のもつ<詩作されてあるもの>としての生そのものに行き着いてしまうのが早ければ早いほど、その詩作はそれだけますます-狭義における-素材に依存した、無形式な、取るに足らぬものであることが明らかになる」(前掲書、p.274)

 つまり、彼は詩作品における「生」の概念が、単に「形姿化」あるいは「精神世界の形成」といった衣装を纏うことなく、裸のまま<詩作されてあるもの>と合一してしまえば、そこから生まれるものの価値が下がると指摘するのである。
 このことについて、ゲオルク・ジンメルは、小論『シュテファン・ゲオルゲ』において、卓越した考察を行っている。

「従来は、自我をまるごと包み込むストレートな感情の激するままの表現が、叙事詩の目標とされるのが普通だったので、この目標にとって詩の芸術形式は手段でしかなかったのだが、それに対して新しい方向に関しては、感情が芸術のための一手段と化するのだ。(中略)気分の昂揚と沈滞、愛と離反、風景と人間に対する魂の反響、そういったものがここでは、自然の感受のままに歌にまで結びつけられてはおらず、感情の基盤そのものを生成する芸術がしっかり押さえている」(「シュテファン・ゲオルゲ」、『ジンメル・エッセイ集』p.150)

 ジンメルが評価する対象は、もちろん論文の表題にもなっている、シュテファン・ゲオルゲの作品である。ジンメルは、この、「秘教的サークル内に閉じこもり、芸術至上主義的姿勢をもって、選ばれた読者へと少部数印刷されるために詩を書き続け、他の読者がそれを筆者することすら許さなかった高踏的芸術家」へ、最上級の賛辞を送る。
 その根拠は、彼自身の芸術作品に向き合う根本的姿勢に依拠している。それはすなわち、彼自身の言葉を借りれば、「愛あるいは憎悪、憤怒あるいは謙抑、恍惚あるいは絶望、そうしたものを感ずる時、それこそがわれわれなのであり、われわれの現実にほかならない。理知がそこから認識と自己認識の映像を作りあげると、たちどころにそれは現実自体の影へと色褪せてしまう」(前掲書、p.146)ことへの憤りである。
 こうした考えに基づき、ジンメルは、詩人の創作過程は、「始原の自然主義的感情から、原初の衝撃による暴力から解放された客観的な感情への移行の途次にある」と述べ、後者の代表としてゲオルゲの名をあげているのだ。

「芸術が生の<形象>ではなく、<生>の形象であるということこそ、自然主義の確信にほかならない。さてゲオルゲの叙事詩において、感情の生活とそのもっとも細やかであえかな内容も、直截な表現ではまだ芸術ではなく、高い形式に形作られるべき原料に過ぎないという時、そこで反自然主義の頂点はきわめられたのである。関心は詩が伝達する内容からは完全にそむき、もっぱらその芸術的な彫琢に向けられる」(前掲書、p.159)

 このようなゲオルゲの姿勢がもたらすものをも、ジンメルは明確に説明している。ゲオルゲの詩で表現されるものは、他の文学ジャンルに換言することができないというのである。
 そしてジンメルは、「芸術的な彫琢」について、さらなる言葉を加える。つまりゲオルゲの詩作品は、それが芸術至上主義的なものであるからこそ、価値を有するというのだ。

「そしてほかではない次のことが、わたしには、シュテファン・ゲオルゲの独自性と意義だと思われる。すなわち、詩における純粋な芸術性が、ほかのどこでよりも全体をなしていて、内容にそれまでの関係や意味から湧き出て来かねないすべての副次的な効果を、きっぱりと排除していること」(前掲書、p.165)

以上のような前提をふまえて、実際にゲオルゲの作品を考察してみれば、ジンメルの考えがより深く理解できるだろう。

【立像 第一と第二】

風景と調和してあなたの家は築かれ
近くの樹の思いより高くはならなかった。
ここで娘たちはかの女たちの清らかな髪をあなたに捧げ
息子たちは熱く燃えて大きな輪を結ぶ。

あなたは青い明澄さの中にあなたの群が
明るく深いあなたの祝典に常に備えているのを見ている
あなたの群は肉体とその快楽を喜び
誇り高く微笑みながら花の間を歩む。

雲のような霧を目指してあなたの塔は聳え
精神は翼を広げて重い大地を逃れ
肉体は粉と砕けて天に向かわねばならない
手強い意志が細やかさ増すバラになるように。

苦行を経て尖りすぎたあなたの指が
組み合わされるときあなたの大きく開いて見上げる目は
敬虔な陶酔のうちに膝が弛んで跪き
民はみな奇蹟の前に嗚咽して身震いするのを知っている。
(『生の絨毯』p.102)

 この詩は、【立像】と題した連作の、文字通り第一節と第二節の部分を抜き出したものである。原詩は第七節まで続き、それぞれの節は対応する立像を意味する。第一節のそれは<古代ギリシア>であり、第二のそれは<中世>である。蛇足ながら付け加えれば、第三の立像は<謎を解明する力であるところの苦悩と戦慄>、第四のそれは<詩人としての道徳的規律>、第五は<官能的な愛の優位>、第六は<過去の芸術における生命の甦り>、そして第七の立像は<薄紗(ヴェール)>を意味している。当然、これらのテーマは、相互に連関性があるのだが、同時に、それ自体で完結したものにもなっている。

 本ノートでは、引用した第一節と第二節を考察の対象としてとりあげる。
 前述したように、引用作品のテーマは第一の立像が<古代ギリシア>、そして第二の立像が<中世>となっている。詩の前半部、第一連と第二連とが第一の立像、後半部、第三連と第四連が第二の立像を指している。
 ゲオルゲの語るところは非常に明快である。「あなた」は語り手が見た立像のことを意味し、<古代ギリシア>時代は、見事なまでに自然と溶け合っている。「家」は「風景と調和」し、「近くの樹より思いより高くはならなかった」のだ。
 風景だけでなく、立像は人間とも調和している。「娘たちはかの女たちの清らかな髪をあなたに捧げ/息子たちは熱く燃えて大きな輪を結」んでいる。そして、それらの光景は、すべて「青い明澄さ」のうちにあり、「明るく深い」。

 一方、<中世>になると、立像が収容される塔は、「雲のような霧を目指して」高らかと聳え立つことを強要され、「精神は翼を拡げて重い大地を逃れ/肉体は粉と砕けて天に向かわねば」ならなくなってしまう。それは、「手強い石が細やかさ増すバラになる」かのような甘美な苦しみであるものの、その苦行の行き着く先は、「敬虔な陶酔のうちに膝が弛んで跪き」、「奇蹟の前に嗚咽して身震いする」状態にほかならない。
 このように、ゲオルゲが語るところは非常に明快である。ベンヤミン的に、この<詩作されてあるもの>の中から「内的接合」されたものを分解しようと試みても、【立像】において、その「精神的秩序」と「直感的秩序」の統一は、すでに解きほぐしがたいほどまでに、「綜合的なもの」になってしまっている。ジンメルの言葉を借りるならば、「生の素材が、時とともにいよいよ美的な形成に向かって成長し、今や完全に芸術の形に溶け入っている」(『シュテファン・ゲオルゲ』p.152)状態になっているのだ。
 すなわち、【立像】は、その名が示すとおり、非常に彫塑的な構造をしている。そのため、ゲオルゲの詩作品を読み解くには、芸術の立体性を分析した、ヘルダーの美学理論を用いる必要が生じてくる。

 小田部胤久は、『象徴の美学』において、ヘルダーの美学に言及し、その特質を、以下のように分析している。「ヘルダーにとって芸術の本質は、記号という媒体を透明化するのではなく、逆に、この媒体の内に意味を具現化、現前化させることにある」(『象徴の美学』、p.150)。小田部は、このような考えを、ライプニッツやバウムガルテン学派との関係に則って、ヘルダーの美学を「象徴」というキーワードのもとに読み解いた結果、得たのである。
 このような結論に達する過程で、まず、小田部は、ヘルダーの最初期の著作『断章』を挙げる。そこで注目すべきことは、「ヘルダーが言語を<観念(Gedanke)>と<言葉(Wort)>の結びつきという観点から、「日常的言語(Sprache des gemeinen Lebens, gemeine Sprache)」から「詩人言語(Dichtersprache)」「詩的言語(Poetische Sprache)」を区別」(前掲書、p.114)している点にある。
 小田部によれば、ヘルダーは日常的言語の特色を、言葉と概念が「感性的に明晰に」結びついているため、「その人は観念を言葉から<区別する>こと、つまり、<概念を別の諸所の言葉によって説明する>ことができなくない」と説明する。そのうえで、彼は日常的言語から詩的言語を区別する。その差異は、「詩的言語における観念と言葉の結びつきは、日常的言語におけるそれと比して、より密接である」(前掲書、p.114)点にある。すなわち、「詩的言語において表現されるべき内容としての<感情>は、そもそも詩人の<身体>の内に語り出されるのであって、両者の関係は<自然的>である。かつ、詩人の語る(狭義の)言語も、この身体的な言語から区別することなく、むしろその一部をなす。「声調と身ぶりの言語」が詩的言語の本質を構成するのである」(前掲書、p.115)
 ヘルダーはその後、当時の詩的言語のあり方が、前述したような本質を見失っていると批判したうえで、以下のように語る。

「「ここで私が思いつくのは、美しい身体は美しい魂の被造物、使者、鏡、道具であり、美しい身体のうちには神々の現前(Gegenwart)が住み、天上の美がその刻印を美しい身体の内に沈み込め、この刻印によってわれわれは天上の完全性を想起する、というプラトンのおとぎばなし(Marchen)である。……私は読者に、観念と言葉、感情と表現は相互に、プラトンのいう魂と身体の関係する、という比喩を提示する」(397)。ヘルダーの理想は、プラトンからさらにヴィンケルマンへと移る。「君はこの身体を魂の表徴(Sinnbild der Seele)として見なくてはならない。魂は身体に、ただこの身体を君の地上的な眼に対して可視的で美しく示すのに必要な限りでのみ、身体的な魅力を与えた。……もし君が表現を、感情が作り出した被造物として、感情の模像(Bildnis)が刻印されている表徴として見るならば、このとき君は、プラトンが霊の国に由来する非身体的な美を想起したときに見た眼で、またヴィンケルマンの眼で、すなわち彼がベルヴェデーレのアポロン、トルソのヘラクレス、ラオコーン、あるいはニオベを見た際に非身体的な国にいたったときのまさにその眼で見ることになるだろう」(前掲書、p.116)

 小田部は、このようなヘルダーの思想を、以下の三点から解説する。一つは、「ヘルダーにおいて心身関係における中心原理が魂の内にあること」、二つは「ヘルダーがプラトンおよびヴィンケルマンとともに、<非身体的な美>を強調することを通して、むしろこの非身体的な美が身体のうちに「現前」する、と結論づけていること」、三つ目は「ヘルダーが詩的言語を、単に人間の心身関係に即してのみならず、彫刻に即して理解していること」となっている。
 その後、ヘルダーは『批判論叢』を著し、詩的言語の理論をさらに押し進めていくのだが、本論を進めるにあたっては、彼が提示した「詩的言語の彫刻性」を探るために、ヘルダーが自身の象徴理論を初めて明確に表した、『彫塑』を検討してみることにする。
 『彫塑』においてヘルダーは、彫刻の特性として、「立体性」という問題を提起する。そして彼は、そのような立体性は、「触覚」を通して初めて識別可能なものになる、と述べるのである。

「視覚はわれわれに形状-姿だけを示すので、触覚のみが立体を示す、つまり、形をなすいっさいのものは、手さぐりの感覚によってのみ認識されるのであって、視覚によって認識されるのは平面にすぎず、それも立体性のない、たんに目に見える光の平面にすぎないということだ」(『彫塑』、p.207)

 そしてヘルダーは、人間の精神の働きを、「触覚」によって感じられたものと、「視覚」によって認識されたものとを統合するところに位置づける。

「立体がわれわれの手にたいしてあらわれたとき、同時に、その立体の像がわれわれの目に投げこまれたのだ。心は二つを結びつけ、見るという速やかな行為によって生まれた観念が、のろのろとした概念をあとから追いこすのだ」(前掲書、p.210)

 すなわち、彫刻が実在感を持つのは、それが「触覚」と「視覚」という、二つの認識に訴えかけるからだといえるのだ。<詩作されてあるもの>を構成している詩的言語が、その形式を突き詰めていくことで彫刻的になるのであるとすれば、当然、<詩作されてあるもの>が単体で成立するに足るだけの実在性が必要となる。詩作品が自立性を持つためには、「触覚」、「視覚」への感興を喚起させるだけのものとして、詩的言語を濃密なものへと研ぎ澄ませていき、作品自体の身体感覚を高めて行かねばならないのである。

 このような姿勢は、ベンヤミンが『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』で語ったような、「無限に<反省>を重ねていく」姿勢と似通っているように見えるかもしれない。
 しかし、ロマン主義者たちのそのような態度が、限りなく無限へと近づきつつも、あと一歩のところで平行線を描き、決して完成することがないのに対し、ゲオルゲの詩に代表される詩的言語の彫塑性は、彫刻の持つ実在性を保持しつつ、段階的に<詩作されてあるもの>が本質的に志向する芸術精神の高みへと近づいていく。
 双方の姿勢の差異は、芸術形式における、絵画と彫刻の差に例えてみるとわかりやすい。

「彫刻は美しい形を作る。中へ、中へと押し込むようにして、「呈示し表現する」darstellen。それゆえ彫刻は必然的に、その呈示に値するもの、それ自身として「存立している」dastehtものを創造しなければならない。彫刻は絵画のような併存によって、一が他をたすけ、しかもそのためにすべてがまずくならないようにすることはできない。なぜなら、彫刻でが、一が全であり、全は一にほかならないからだ。(中略)魂が生き、高尚な立体を息吹きでみたし、立体のなかの魂を、神々を、人間を、気高い動物を表現する技芸を競いうるものなら、芸術はそれをこそ造形すべきであり、またこれまで造形してきたのである。(中略)けっきょく彫刻は真実であり、絵画は夢である。彫刻はまったく呈示する表現であり、絵画は物語る魔法である」(前掲書、p.219)

 芸術がそれ自体として実在感を有し、美的なものに存立する根本的要素を追求するためには、芸術は「呈示し表現する」もの、すなわち「彫刻的」なものでなくてはならない。その一例として、ゲオルゲ【立像】は、彫塑性という形で芸術の典礼的規範を表現し、具体的な形でわれわれに示してくれるのであるが、ここにいう「彫刻的」なものは、いわゆる「アレゴリー的」な要素を、ほとんど含んではいない。これは、ヘルダーが『批判論叢』において、レッシングのアレゴリー論を批判していたことに依拠している。ゆえにわれわれは『彫塑』から、とりあえず『批判論叢』に目を戻そう。
 『ラオコオン』に代表されるレッシングの姿勢とヘルダーのそれとは、「彫塑性」に関する出発点は似通っているのだが、その行き着く先が別であったのだ。話が盤根錯節した様相を呈することとなるのだろうと考え、本ノートではレッシングの姿勢を詳述することは避けるが、彼らの「彫塑性」に関する姿勢は、前述の引用部に記されている「彫刻はまったく提示する表現」という、ヘルダーの記述からも明らかである。そして、そのような基盤に則ってヘルダーが「アレゴリー」を批判する姿勢は、小田部胤久が簡潔に説明してくれている。

「ヘルダーによれば、ホメロスは言葉ないし行為を外なるものとして、すなわち内なるものによって生み出されたものとして創出したのであり、彼の詩の享受者もまた、外なるものをそれを生み出す内なるものに即して捉え返さなくてはならない。外は内によって生み出されたものであり、内は外へと自ら現れ出る、という内と外との二重性が、行為する抽象概念から生きた存在者への点かを可能にするのである。ヘルダーがアレゴリーを批判するのは、アレゴリーにはこのような二重性が存在しないからである。」(『象徴の美学』、p.131)

 ここでわれわれは「形式」と「内容」との合一という、先のヘルダーリン論において、おそらくベンヤミンが夢想していたであろう、<地平>を見出した、と述べようとする衝動に駆られるのであるが、おそらくこれは夢想にすぎまい。なぜなら、その<地平>は、ゲオルゲが「書いて」しまったときに、不動の地位を奪われたのであろうから。

(岡和田晃)

【主要参考文献】
ヴァルター・ベンヤミン「フリードリヒ・ヘルダーリンの二つの詩作品」、(『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』所収)、浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫、2001年
ジェルジ・ルカーチ『小説の理論』、原田義人/佐々木甚一訳、ちくま学芸文庫、1994年
ゲオルク・ジンメル「シュテファン・ゲオルゲ」、(『ジンメル・エッセイ集』所収)、川村二郎訳、平凡社ライブラリー、2002年
シュテファン・ゲオルゲ『生の絨毯』、野村琢一監修、ゲオルゲ研究会訳、東洋出版、1993年
小田部胤久『象徴の美学』、東京大学出版会、1994年
ヘルダー「彫塑」、(『ヘルダー・ゲーテ』所収)、戸張正実訳、中央公論社、1975年
レッシング『ラオコオン』、斎藤栄治訳、岩波文庫、1970年

※本ノートの初出は2004年であり、原則として手を加えていない。ある論文集に収録される話もあったが、事情により立ち消えとなった。特定の詩人にスポットを当てた分析ではあるものの、そのパースペクティヴは荒巻義雄『神聖代』、山野浩一『花と機械とゲシタルト』、山尾悠子の諸作品など、現代のスペキュレイティヴ・フィクションを理解する一助にもなりうるということから――ドイツ文学研究ではなくあくまでも批評という形で――speculativejapanにて公開させていただくことになった。

※表示形式の都合により、ドイツ語のウムラウトは省いた。

2013/7/29 月曜日

『ヘルデンプラッツ』と神的暴力

Filed under: 評論 — Akira OKAWADA @ 19:27:41

 君は『ヘルデンプラッツ』を知っているか?
 2008年5月10日、オーストリアの作家トーマス・ベルンハルトの戯曲『ヘルデンプラッツ』の日本語版が論創社から刊行された(池田信雄訳)。
 これは記念すべき出来事だと思う。だが発売から2年近く経過しても、ほとんど誰もこのことの意義を語ろうとしない。なので仕方ないから、力が足りないことは承知のうえで、この場を借りて僕が紹介させていただくことにした。

 『ヘルデンプラッツ』の原著は1988年に出たものなのだけれども、ベルンハルトはその翌年に死去した。つまり、結果的にこの『ヘルデンプラッツ』が戯曲としての遺作となってしまったのだ。
 ベルンハルトが没した1989年は周知の通り、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一を見た年である。そして、ドイツのフィクションにおけるシリアスな「文学的」主題として、東西ドイツの統一は、さながら日本の戦後文学と同じくらいの重みをもった――そして頻繁に言及される――問題であり続けている。東西ドイツが統一され、バラバラだったイデオロギーが自由主義経済一色になってからまだ20年弱しか経過していないのだから、当然といえば当然だろう。
 ロバート・ダーントンは、東ドイツではものすごく文学書が読まれたと書いている(『壁の上の最後のダンス』)。ただ、これは単に娯楽が規制されていたからというだけではなく、やっぱり誰も彼も真面目なところがあったんではないかと、日ごろドイツ文学を読んでいると、つい思いたくなる。芸術へ向き合うことで人生の意義を探ろうとする、古典的だが愛すべき態度を彼らは保持しえていたということだろう。
 もちろん、東ドイツの文化的な抑圧はすさまじいものがあった。ボードレールの『悪の華』を手に入れるのでさえすごく苦労した、という話をダーントンは紹介している。
 だが一方で行間から透けて見えるのは、なんともドイツ的な――としか言いようのない――禁欲的なものさえ感じさせる素朴さだ。その生真面目さゆえにこそ、統一後にもたらされたイデオロギー的な混乱が、現代ドイツ文学の根底に潜む、ある種の亀裂となってしまっているようにすら思える。

 こうしたイデオロギー的な混乱を生真面目に引き摺り続けているドイツに対し、同じドイツ語圏であるオーストリアはどうなのだろう。
 かつてはハプスブルク帝国として、その後はオーストリア=ハンガリー二重帝国という形で、常にヨーロッパの政治と文化の趨勢を左右し続けてきたのがオーストリアという国。その首都ウィーンは、シュニッツラー、ホフマンスタール、ムージル、ロートといった作家たちや、クリムトやシーレといった画家たちを輩出してきた。「音楽の都」としての名声は言うまでもない。もちろんハイドンやベートーヴェン、シュトラウス一族に、マーラー、ブルックナー……ウィーンと音楽は切っても切り離せない。
 こう考えると、ウィーンやザルツブルクで青春を過ごした作家であるトーマス・ベルンハルトが、ドイツ的な重苦しさからはまるで無縁なのではないかと期待したくなる。
 つまり、ゲーテやトーマス・マンが見出した「ドイツ精神」とでも言うべきものに対し、オーストリア精神とでも言うべきものが、さぞかしベルンハルトの作品には横溢しているのではないかと早合点してしまいそうになるわけだ。現に、ベルンハルトもウィーンで声楽を学び、モーツァルトの『魔笛』でパパゲーノやザラストロを演じたという経歴の持ち主でもある。オーストリア精神の体現者としてはぴったりではないか。

 だが残念ながら、ベルンハルトの文学はそのような類のものではない。
 ベルンハルトはオーストリア的なもの、ウィーン的なもの、そして「ドイツ精神」一切に糞を投げつけたのだ。

 オーストリアの隣国ドイツは、両大戦後、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国に分割統治された。
 こうした背景を、アンナ・ゼーガースは『決断』(1969)において、自ら与り知らぬところで措定された政治システムによって人々の生活圏が分断された光景として描き出した。ゼーガースの小説は、政治的状況とそこで生きる人間の複雑さをそのまま表現するため、あえて群像劇という体裁を選択している。そうでもしなければ、人間を解体する政治システムの総体を表現できないと、ゼーガースはふんだのだろう。

 一方、少なくともベルンハルトは、オーストリアの政治とそこに生きる人間を、ゼーガースが描き出したような輻輳的な情景として見なかった。
 オーストリアは政治的な責任を背負うことなしに、偽りの伝統にしがみついて汲々としているのだとベルンハルトは告発する。ベルンハルトにとってみれば、それはヒトラーが信奉していたような国家社会主義と何一つ変わらないものにほかならない。

 『ヘルデンプラッツ』の発表当時は、後にオーストリア自由党の党首となり事実上、政権を掌握することになるイェルク・ハイダーのような極右政治家が、勢力を急激に拡大してきた時期であった。ハイダーはナチを称賛し、徹底した保守政治を敷いて移民を排斥したと言われるが、こうした政治体制は、ベルンハルトにとっては自らが人格形成期に見た光景、つまりナチス政権の占領下にあったオーストリアの全体主義的な体制の反復にほかならなかった。
 だから『ヘルデンプラッツ』のベルンハルト曰く、政治家は無能で、新聞の価値はただそれが低俗であることだけ。芸術は悪臭ぷんぷんたる模造品しか生み出さず、人々は救いようもなく愚劣であり、愚鈍であって、何一つ取り柄がない。オーストリア人は政治的にも文化的にも選択の余地はない、なぜなら選ぼうにも下劣なものしかないからだ……。

 あらゆる虚飾を剥ぎ取り、自らの属している共同体とその精神を徹底的に罵倒するベルンハルト。
 これが観衆を怒らせなかったはずはない。
 たちまち上演中止を訴えるデモが起こり、『ヘルデンプラッツ』の上演二日目には反対派によって劇場の外壁には肥が撒かれた。オーストリアへ向かって糞をひり出したベルンハルトは、皮肉にも実際に糞をもって反撃を受けたというわけだ。

 ベルンハルトの作品に出てくる人物は、どいつもこいつも小物で、偏執的で、かなわぬ夢にあたら身を焦がしている。あまりにも頻繁にそうした人物が登場するため、さながらスター・システムのようにすら見える。
 あまりにも理想が高いゆえに決して着手もできなければ完成もしない小説・戯曲・あるいは自然科学の研究が、ベルンハルトの主人公を突き動かしている。
 が、彼らは繊細すぎるがために、世界の重圧を否応なしに全身で感じ取らざるをえない。そのため厳密であろうとすればするほど、自分が抱えた小世界を具体的な形にすることができなくなるのだ。

 ちがうちがう、ツィッテルさん、わたしは狂ってなどいない
 厳密なだけで、ツィッテルさん、狂ってはいない
 厳密なだけで、ツィッテルさん、狂ってるんじゃない
 厳密さの狂信者なんだよ、わたしは、ツィッテルさん
 わたしは病気じゃない、わたしは病気じゃない、先生はそう叫んだわ
 わたしは厳密さの狂信者にすぎない
 わたしが厳密さの狂信者であることはみんな知ってる

 ベルンハルトには、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインその人が登場する『リッター・デーネ・フォス』(1986)という戯曲や『ヴィトゲンシュタインの甥』(1982)という小説があるけれども、『論理哲学論考』を書き記した哲学者(やその一族)が擁していた憂鬱質、かつ破滅的な気質を思い起こしてもらえれば、ベルンハルトの小説に登場する人物の粗型をイメージしやすいのではないかと思う。
 彼らはこのうえなく繊細で、痛みを強く感じ取るが、その繊細さを世界は徹底して拒否する。彼らは身体と精神の両方をもって世界の重力を感じながら、内面に沈潜することすらできず、喘息患者のようにうねるような魔術的言語を介し、毒と呪いを吐き続けるのだ。

 だからベルンハルトが活路を見出すのはただひとつ、自殺である。現にベルンハルトの作品では、登場人物の多くは死に憑かれている。
 『ヘルデンプラッツ』においては、事実上の主人公とも言うべきローベルト・シュースター教授は既に故人となっており、その呪いの言葉を彼に近しかった人間たちが代わりに語るという体裁が取られている。
 ローベルト教授は妻と、広場“ヘルデンプラッツ”の向かいにある建物に住んでいた。ヘルデンプラッツとは50年前、ヒトラーが“凱旋”を遂げた場所だ。
 かつて今にも飢え死にしそうだった若き日のアドルフ・ヒトラーは、ウィーンで画学生としての若き日を過ごしていた。そのヒトラーがいつしか第三帝国の総統となり、ウィーン市民の圧倒的な歓呼の声に包まれてヘルデンプラッツへ舞い戻ってきた。
 その時の人々の歓声が、ローベルト教授の妻の脳裏には、いまだにこだましているのだという。
 そしてローベルト教授の中では、妻が耳にするその歓喜の声は、“厳密さの狂信者”である彼自身とはまったく異なる“650万人の敵”として降りかかってくるのである。その650万人は――教授が言うには――不幸になるように生まれついた人間でしかない。

 世界は、そう今日すでに破壊されつくし
 耐えられないくらい醜い世界になってしまった
 どこへ行こうが
 今日目にするのは醜い上に
 とことん愚鈍な世界でしかない
 どこに目を向けてもすべてが落ちぶれ
 どこに目を向けてもすべては荒廃している
 できることならもう二度と目を醒まさないのが一番だ
 この五〇年の間に政権の座に着いたやつらが
 すべてを破壊しつくした
 もう挽回は不可能だ
 建築家たちは持ち前の愚かさで
 すべてを破壊した
 インテリたちは持ち前の愚かさで
 すべてを破壊した
 国民は持ち前の愚かさで
 すべてを破壊した
 政党と教会は持ち前の愚かさで
 すべてを破壊した
 常に下劣きわまりない愚かさだった
 オーストリア的愚かさとはこの上なくおぞましい愚かさだ

 
 この上なくおぞましい愚かさ。ただひたすら、この言葉が連呼される。
 この“愚かさ”から逃れようと、ローベルト教授はオックスフォードへの移住を計画する。しかしそれは結果として叶わず、教授は飛び降り自殺を遂げ“頭をぺしゃんこ”にしてしまう。
 残された者たちは、教授の言葉を間接話法を通して語ることを通し、教授が憎悪したものが何であったのかを見出そうと模索する。
 しかしながら教授の、これ以上にないほど単純明快な呪詛を反芻してもなお、教授の言葉を引き継いだ者たちの会話はすれ違いを続け、コミュニケーションは進展しない。いわゆる「信頼できない語り手」の言葉は常に乱反射し、言葉を発する主体は常に自らを裏切ることとなる。そして結局、“世界とはばかげた考えの寄せ集めでしかない”という一句をもって戯曲の幕は閉じられる。

 ベルンハルトは政治と人間とを憎悪する。それ以上に、政治と人間、あるいは人間と人間を結びつける精神の力(ゲーテならば『親和力』と呼んだもの)を攻撃する。中でも、カトリック教会への攻撃は容赦がなく、それゆえにベルンハルトを語るうえでは重要なものだ。
 彼はカトリックをしきりに弾劾するが、その糾弾の言葉は単なる背教者のものではない。ベルンハルトはおそらく、教会の伝統やしきたりといった次元を越えたカトリックの根幹に根づく超越的な一者を求めている。

 かつて、ドイツ・ロマン派の作家たちは“無限にして多様なる一者”との同一を志向した。ロマン派の作家たちにとって、そうした一者は自然の中に無数に「発見」されるものであり、「発見」した自然を思弁の結果高めていくことによって、いずれは政治や人間性を越えた高次の領域へ自らの精神を到達させようと志向した。
 初期ロマン派の作家たちが活躍したの18世紀後半から19世紀前半は、近代科学が急激に工業化を見せた時期であるとともに、フランス革命からナポレオン戦争という、未曾有の世界戦争に巻き込まれた時期でもあった。
 こうした時代背景のもと、内面に沈潜したロマン派の作家たちは、精神を高みへ到達させることで、いわばベタな暴力を越えたメタレベルの何かを追究したのだろう。

 しかしロマン派たちとは異なり、ベルンハルトが見出す「自然」は悪臭に満ちた汚穢の場でしかない。そのうえ、ベタな暴力を越えた高次の精神性の志向は、いつのまにか全体主義への崇拝にすり替えられてしまっている。
 トーマス・マンなどドイツの作家たちはそれでもロマン派が抱いた夢や「ドイツ精神」のダイナミズムを信じ、その読み替えを通して安易な全体主義を回避しようとした。
 だがベルンハルトは「ドイツ精神」を正面から受け止めることができない。彼はトーマス・マンのように「ドイツ精神」を観念的に操作しようとする行為が、ある意味ひどく鈍感な作業であることを直観している。だからこそベルンハルトは、「ドイツ精神」がもたらした痛みを全身で感じ取ってしまうのだ。
 そのため彼の罵倒は、単なる罵倒ではなく、いわばベタな領域にもメタな世界にも活路を見出すことができない、という絶望の表明そのものである。

 ベルンハルトが感じた絶望と、全体主義へとすり替えられた高次の精神性が何かを考えるには、ヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』が役に立つ。
 ユダヤ人であったベンヤミンは、ナチスからの亡命の途上、ピレネー山中で自死を遂げてしまったわけだが、彼が残した「歴史哲学テーゼ」(あるいは「歴史の概念について」)は、ヘーゲル式の弁証法とはまったく異なる世界観を提示する。ベンヤミンは、歴史の段階的な発展を、突如切断させるような巨大な力の存在を示唆するのだ。それは物理的な暴力とは異なる、血の臭いがしない暴力、暴力そのものを揚棄し、罪を浄化する類の暴力である。
 『暴力批判論』のベンヤミンは、そうした暴力を「神的暴力」と名指した。
 だが「神的暴力」とは『旧訳聖書』でヤーヴェが噴出させるような、理不尽で何の脈絡もない怒りを伴う暴力でもある。

 ベンヤミンは博士論文『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』において、ドイツ・ロマン派の代表的な思想家であったフリードリヒ・シュレーゲルを研究し、弁証法的なフレームを越えた、いわば知的な直観の無限の反復の果てに高められていく精神の躍動を模索した。
 シュレーゲルは、晩年にカトリックへ改宗したことで知られるが、それは、ベンヤミンによって見出された無限の反復によっては越えることのできない一点を、宗教の力によって越えようとしてしまったからであろう。
 こう考えると、ベンヤミンが見出したユダヤ的な「神的暴力」と、カトリックとの類似性がおぼろげながら見えるようにも思える。

 ベルンハルトはカトリックを批判しつつ、明らかにカトリックへ惹かれているが、「神的暴力」がもたらす救済を羨望しながら、それを正面から認めることができないでいる。彼はカトリックに引き裂かれてしまっている。
 だから彼が『クリスティーネ・ラヴァントの十三の詩篇』へ寄せた序文の、「彼女は死に至るまで決して平和も安らぎも得ることなく、自分自身の存在に苦しみ、キリスト教の、特にカトリックの信仰によって破壊され、見捨てられた。(……)この偉大な詩作品は、最後まで失われない正気によってさいなまれた人間の証しである。」という言葉は、そのまま彼自身にも当てはまってしまうだろう。

 ベルンハルトも僕たちも、悪臭に満ちた糞の中に塗れ、糞を投げ合っているという点では変わらない。だが一方で、こうした泥仕合をいつか終わらせてくれる「神的暴力」というバキュームカーの到来を、心のどこかで待ち望んでいる部分があるかもしれない。
 もちろん、ユダヤ教の神を直接名指すことがかなわないように、「神的暴力」の痕跡は事後的に見出すことしかできないが、ベルンハルトの死後20年が経過した現在、いまいちど見直してみれば、「神的暴力」がもたらした破壊の跡は、ともするとベルンハルトが生きた時代よりもくっきりと、僕たちの目の前に姿を現していると見ることができるだろう。
 そう考えると『ヘルデンプラッツ』は、たとえドイツやオーストリアとまったく関係がない読み手にとっても、切実な問題を訴えかけているということになる。ベルンハルトの、さながら音楽的な罵倒の彼方に滲む哀しみを、君も体感してみてほしい。

 しかしいまオーストリアがどういう目に遭わされているか
 とうてい言葉で言い表せるものではない
 いまでは精神のかけらも文化のかけらもない肥だめだ
 そこからヨーロッパ中に鼻をつく悪臭がまき散らされている
 悪臭の及ぶ範囲はヨーロッパだけにとどまらない

(岡和田晃)

※本記事は、2010年3月14日に限界小説研究会BLOG(http://ameblo.jp/genkaiken/)に掲載されたものだが、同ウェブログの更新停止(移行)に伴い、ログに残された原稿を再掲するというものである。内容には原則として変更を加えていない。

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