2010/2/6 土曜日

日本SFの海外受容史               巽孝之

Filed under: 寄稿 — Mamoru Masuda @ 2:21:31

 日本比較文学会が60周年を記念して巨大論文集を刊行することになり、日本SFの受容史を寄稿せよという依頼が来た。この学会には大学院生のころから入会はしているものの、かれこれ20年近く前に国際会議で司会役を引き受けた以外はろくに活動しなかったので、義理を果たす意味でも、二つ返事で引き受けた。一昨年には日本近代文学会の『日本近代文学』第78号(2008年)に「SF研究の現在」なる論考も寄稿した蓄積もあるから、 30枚程度ならたぶんすぐに書き上げられるだろうと思っていたが、予想外に時間がかかり、締切を半年ほど過ぎた2月2日(火曜日)早朝、ようやく脱稿した。タイトルは一応「日本SFその受容と変容」。おそらく夏までには刊行されるだろう。
 わたしの責任の負える範囲だから、もちろん英語圏を中心に絞ったけれども、まとめるうちに気づいたのは、この分野に関する限り、意外なことに体系的な先行研究がほとんど存在しない、ということだ。日本SF史に関しては横田順弥氏から昨今の最相葉月氏や長山靖生氏まで多くの業績に恵まれているが、比較文学的研究としては、日本SFがいかに海外SFを受容したか、ではなく日本SFがいかに海外で受容されていったか、その見取り図を描かねばならない。もちろん、折にふれて日本SF英訳リストは作成されているものの、それだけでは論文にならない。書庫から参考文献を掘り出しては読み直すしかなかった。
 やがて見えてきたのは、日本SF英訳第一号が安部公房よりも早く星新一の「ボッコちゃん」だったのは広く知られているけれども、 それが斎藤伯好訳、アヴラム・デイヴィッドソン編集長の衝撃的な紹介文つきで掲載された『ファンタジー&サイエンス・フィクション』 1963年 6月号を読んだことが、のちの名翻訳家・浅倉久志の誕生につながり、 1970年の国際SFシンポジウムで来日し、72年には再来日を遂げるジュディス・メリルの日本SF英訳計画が、のちに矢野徹氏を筆頭として浅倉氏や伊藤典夫氏も一員となる翻訳勉強会を成立させ(つまり当初は英訳勉強会だったわけだ)、そこでの切磋琢磨こそはメリルとグラニア・デイヴィスを監修者とするジョン・ アポストルー&マーティン・グリーンバーグ編の『日本SF傑作選』(デンブナー社、 1989年)やジーン・ヴァントロイヤー&グラニア・デイヴィス編の『スペキュラティヴ・ジャパン』(黒田藩プレス、 2007年)の刊行を可能にした、という歴史である。
 その歩みを辿るうえで今回最大の参考文献になったのは、矢野徹『矢野徹・ SFの翻訳』(奇想天外社、 1981年)と浅倉久志『ぼくがカンガルーに出会ったころ』(国書刊行会、 2006年)の二冊。そこには、日本語のまったくできないメリルが、いかに翻訳勉強会の協力を得て石川喬司の「海への道」や小松左京の「兇暴な口」を英訳していったか、その独特な方法論がわかりやすく説明されている。デンブナー社版の「兇暴な口」訳者クレジットでは共訳者・矢野徹が抜け落ちてメリルの単独訳になっているというとんだご愛嬌も発見してしまった(もちろん、黒田藩プレス版における再録ではきちんと共訳が明記されている)。さらに、こうした視点から改めて検証してみると、日本SF英訳テクストのうちでも英語圏にて再録を重ねるほどに愛されたのが、星新一の「ボッコちゃん」以後では光瀬龍の「落陽二二一七年」、荒巻義雄の「柔らかい時計」、そして菅浩江の「そばかすのフィギュア」だったことも、よくわかった。
 ちなみに、前掲『スペキュラティヴ・ジャパン』は共編者序文に加えデイヴィッド・ブリンの前書きが付き、しかも巻末には浅倉久志による回想記が付くという豪華執筆陣だが、浅倉テクストは内容的に『ぼくがカンガルーに出会ったころ』所収のメリル追悼、矢野徹追悼の文章と重なるものの、「ボッコちゃん」英訳者・斎藤伯好ショックについては日本語オリジナルの対応物が見つからない。わたしはもともと浅倉氏の敬愛する作家や先人へのオマージュの捧げ方それ自体がスタイリッシュで好きなのだが、ここでも彼は斎藤伯好氏の「ボッコちゃん」英訳に対し、一読「驚異と尊敬の念」( my wonder and admiration)に打たれ、自分はといえばまだヨコのものをタテにしようとしている翻訳家志望の一SFファンだったのに「この男ははるかに先に行っているばかりか、自分のやろうとしている仕事のまったく逆、つまりタテのものをヨコにするという偉業まで成し遂げている」と賞賛してやまない。だが、わたし自身は日本語でこれを読んだ記憶がない(ご存じのかたがおられたら御教示を)。
 さては――と思ってこの流麗なるエッセイ「タテからヨコに」 “From  Vertical to Horizontal”のクレジットをよくよく見ると、英訳者名が欠落している。ということは、編集ミスでない限り、これは浅倉久志本人の英文書き下ろしによる寄稿と考えてよさそうだ。部分的に既発表の日本語テクストと重なる部分は、文字通り著者が自身の文章をいつもとは逆に「タテからヨコに」してみせた訳業、すなわち浅倉久志著にして浅倉久志訳という、世にも貴重な自己言及テクストであることに、わたしは改めて気がついたのだった。

2010/1/13 水曜日

バーバラ・ジョンソン、または人造美女の墓碑銘   巽孝之

Filed under: 寄稿 — Mamoru Masuda @ 11:14:59

    Confusion will be my epitaph.  —-King Crimson (1969)

 昨年の初夏、『文藝』 2009年冬号のために「自分の小説観を変えた小説・評論三冊」を列挙し理由を書け、というアンケートが来たので、即座にハーマン・メルヴィル『白鯨』( 原著1851年[Herman Melville, Moby-Dick])八木敏雄訳(岩波書店)、沼正三『家畜人ヤプー』( 1956年- 70年、角川書店)、バーバラ・ジョンソン『批評的差異』( 原著1980年 [Barbara Johnson, The Critical Difference ]、ジョンズ・ホプキンズ大学出版局、未訳)の三冊を選んだ。この号はもう店頭から消えているから、以下に回答文の全文を掲げてもかまうまい。
「小説がわかるかどうか–これは文学青年的問いかけの紋切型である。それは、とある英米文学者が『ジョイスの「ダブリナーズ」を読むと、自分は北陸出身だからじつによくわかる』と語った評言に尽きている。
 しかしいっぽう、小説のうちには『何が何だかよくわからないけれども面白い』怪物が出現することがあり、そのタイプにこそ、わたしは長く惹かれてやまない。アメリカ文学ではメルヴィルの『白鯨』が、日本文学では沼正三の『家畜人ヤプー』が、それぞれ極北だろう。加えて、そうした倒錯的評価基準自体を理論化しつつ、批評そのものが小説のように面白く読めることを証明したのが、ジョンソンの手になる脱構築批評の聖典『批評的差異』であった」。
 小説のほうは解説不要だろう。だが批評のほうで挙げた著者バーバラ・ジョンソンは、脱構築(ディコンストラクション)華やかなりしころ一世を風靡したとはいえ、必ずしも邦訳が多くはないから、ひょっとしたらいまではすっかり忘却されているだろうか。しかし、かれこれ 30年前、ニューウェーヴ SF運動も一旦落着しバラードやレム、ディックなどの読み直しがしきりに行われていたころ、ジョナサン・カラーとも比肩する彼女の本に出会わなかったら、わたしは構造主義や記号論に親しむこともアメリカ留学を考えることも、現代批評の最前衛と SF理論の最先端とが共振しているのに気づくことも、そして何より英語でしか表現しえない批評的フロンティアへ自ら踏み込むことも、決してなかったはずだ。少なくとも、ウィリアム・ギブスンの「ガーンズバック連続体」に登場する「記号的幽霊」の概念や「冬のマーケット」に登場する「自己脱構築装置」をリアルタイムで理解するのは、おぼつかなかったと思われる。脱構築理論に親しむ以前に、ジョンソンのシンプルにしてスリリングな論理展開による批評芸術こそが「「自分の小説観を変えた」のは間違いない。
 げんに、その第一著書『批評的差異』に収録されたさまざまな論考のうちでも「メルヴィルの拳」や「参照の枠組–ポー、ラカン、デリダ」は、メルヴィルの謎めいた中編小説『ビリー・バッド』やポー最高の探偵小説「盗まれた手紙」を中心に、あくまでテクストの細部を精読しつつ旧来の定説を心地よくも転覆し、さらには誰もが見過ごしていた文学的本質を明るみに出した点で、時に「書くことのレトリック」ならぬ「読むことのレトリック」がいかに強烈な破壊的創造力を発揮するものであるかを、思い知らせてくれたのだった。
   1960年代に起源をもつ点で、ニューウェーヴ的な「内宇宙」への思索と脱構築的な「内なる差異」をめぐる思索は共振する。米ソ冷戦なる巨大な二項対立すなわち「はざまの差異」が政治学的にはアポロ計画に象徴される「外宇宙」の開発を促進したいっぽう、それは米ソそれぞれが自ら封じ込めたさまざまな矛盾すなわち「内なる差異」への批判的思索を刺激し「内宇宙」にこそ真のフロンティアを幻視させたからである。げんに 1930年生まれのバラードが初期の傑作『結晶世界』を発表した 1966年は、まったく同い年のデリダがジョンズ・ホプキンズ大学のシンポジウムでレヴィ=ストロース批判を根幹に据える構造主義批判の論考「人間科学の諸言説における構造、記号、ゲーム」で北米における衝撃的デビューを飾った年にあたる。最も痛烈なアメリカニズム批判を本質とするニューウェーヴやディコンストラクションが、ともにアメリカという巨大市場を広く開拓し人気を博したのは、最大の皮肉というほかない。
 バーバラ・ジョンソンは 1947年ボストン生まれ。バリバリの団塊の世代として激動の 1960年代に青春を過ごし、  1979年にはイエール大学にてド・マンの指導のもと博士号請求論文『詩的原語の脱構築』(邦訳・水声社)を書き上げ、  80年に『批評的差異』を、81年にはデリダの『散種』英訳を、 87年に『差異の世界』(邦訳・紀伊國屋書店)を矢継ぎ早に刊行してイエール学派の一翼を担った、まぎれもない時代の寵児である(詳細は拙著『メタファーはなぜ殺される–現在批評講義』 [松柏社、2000年]第二部参照)。
 こう紹介すると、ヨーロッパ系の難解をきわめる現代思想を英語圏でわかりやすく普及した啓蒙家、のように響くかもしれないが、しかしその仕事は一枚岩ではない。それは英語による批評文体の革命であった。ヨーロッパ思想を何よりも深遠と見る向きは、それがアメリカ的土壌に移植された帰結を往々にして軽んじる。独創的な思想的実質が誰にでも使える民主主義的文体に転換されてしまうことに対する、それは精神的自己防衛であろう。だが、文体という形式そのものに思想が宿っていることを、人は時として見過ごす。かの北米啓蒙主義者ベンジャミン・フランクリンを賛美したのはほかならぬイマニュエル・カントであり、かの北米超越主義者ラルフ・ウォルドー・エマソンを賞賛したのはほかならぬフリードリッヒ・ニーチェであったが、いずれも最大の魅力はアメリカ的文体の水準で発揮されていた。その意味で、ジョンソンは脱構築を実践するさいにも、彼女独自にしてアメリカ的な、あまりにアメリカ的な、ありとあらゆる「形式美」に対する偏愛を貫いたといえる。人間が動物と袂を分かつのはナルシス的な「かたちへの偏愛」に尽きる、と見るのが彼女の一貫した批評的前提なのである。わたしが一時、そんな彼女自身の英語のかたちそのものの美しさを徹底的に研究し調べ上げ、そこから多くを学び取ったゆえんも、「かたちへの偏愛」が転移した結果であろう。
 だからこそ、去る 2009年 4月、サバティカルのためのボストン滞在中に出たばかりのジョンソンの新刊『人間と物』 Persons and Things (Cambridge : Harvard UP, 2008) を手に取り、その批評的スタンスがいつになくはっきり表現されているばかりか、決して少なくない SF小説や SF映画をめぐる議論が展開されていることに、わたしは軽い眩暈を覚えた。
http://www.hup.harvard.edu/catalog/JOHPER.html
 なにしろ、これまで欧米文学史の正典を中心に人種や性差や階級をめぐりシャープな分析を行ってきた知性が、本書ではマルクスやベンヤミン、ド・マンの理論を再援用しつつ、何と E・ T・ A・ホフマンの『砂男』やヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』、フィリップ・ K・ディック原作の映画『ブレードランナー』、ブライアン・オールディス原作の映画『 AI』からバービー人形、ディズニー・アニメ、マイケル・ジャクソン、それに我が国のたまごっちまで現代文化における「かたち」に飽くことなき好奇心を示し、旧来の「かたちへの偏愛」においても新境地を切り開いたのだから。
 むろん、彼女の出世作のひとつがメアリ・シェリーの古典 SF『フランケンシュタイン』におけるマッドサイエンティストと人造人間の関係に母と娘の関係性を読み込むフェミニスト的解読「わたしの怪物 /わたし自身」(初出 1982年、『差異の世界』所収)だったことを知る者には、こうした展開は何の不思議もあるまい。だが、にもかかわらず、ひとりの模範的な脱構築批評家が、ここまで一挙に大量の SF的想像力を噴出させ、最先端の人造美女論にも大きく寄与する思索を織り紡いでみせた「晩年のスタイル」は特筆に値する。 1980年代初頭に彼女の仕事によって脱構築批評の洗礼を受け、 SF批評への応用可能性を着想した筆者としては、ほんの数年前に自身が共編した『人造美女は可能か?』(慶應義塾大学出版会、2006年)とほぼ同じ方向を晩年の巨匠が歩んでいたことは、とうてい偶然ではありえない。前掲『文藝』アンケート回答でわたしが『批評的差異』を挙げたのも、長らくご無沙汰しながら再びバーバラ・ジョンソンの仕事そのものが気になり始めた–というかサバティカルという時間を得て自らの初心に立ち返ろうとしていた–ことに起因する。
 したがって、彼女が去る 2009年 8月 27日に小脳不調のため急逝したという知らせに接したときのショックは、筆舌に尽くしがたい。  9月に西海岸はベイエリアに滞在していたころ、かつてイエールでジョンソンの薫陶を受け、いまはカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執るミリアム・サスとダン・オニールが教えてくれたのだった。わたしはたちまち、かつて 1986年の秋、アラバマで行われた会議の席上、たまたま歓談する機会を得てサインをもらった『批評的差異』に、著者がこんなメッセージを記してくれたことを思い出した–「もっとじっくり話し合いたいものですね」( with the desire for  more [unrushed])conversation)。どの講演でも、多少鼻にかかった声色で、にもかかわらずたえず溌剌として、誰よりも複雑な理論を誰よりも簡潔明快に語った彼女はしかし、今世紀に入ってから 10年近くものあいだ車椅子生活となり、発話もままならなくなっていたのである。
http://www.folsomfuneral.com/?p=776
 そのことを知るならば、遺著『人間と物』における「かたちへの偏愛」が、いつもどおり脱構築好みの「頓呼法」「活喩法」「比喩乱用」といった修辞装置を駆使しつつ、それまでかたちでしかなかったものがいつしか声を得て語り始める瞬間を強調し、人工生命理論にまで思いを馳せるという発展を見せたことは、着目しなくてはならない。かつての彼女は 1980年代半ばの名論文「頓呼法、生命化、堕胎」(初出 1986年、『差異の世界』所収)で、詩的言語の修辞的効果(スピーチアクト)によって非生命ないし死者がいきなり生命を帯びてしまうこと、それまで非在だったものがいきなり存在してしまうことの不思議を語っていた。その関心が四半世紀を経て育まれ、最晩年には本格的な墓碑銘論に結実している。古く 18世紀初頭、ベンジャミン・フランクリンは若干 22歳で自らの人生そのものを一冊の修正可能な書物とみなした短詩「墓碑銘」を執筆したが、 21世紀初頭、バーバラ・ジョンソンは還暦を過ぎた最晩年の著作で、墓碑銘の機能を「生という虚構」を利用しつつ「死者に生命を付与し語らせる」ものと再定義した。そしてその直後、いかにも彼女らしく、この特殊なジャンル的特徴から普遍的な文学的本質へと、一気に跳躍してみせる。
 「かくして墓碑銘が達成しているのは、すべての文学の達成目標なのだ。詩作ひとつにしても、読者をしてまさに詩人そのひとが語っているのだと、詩を読めば詩人の生きた声を耳にすることができるのだと確信させなくてはならない–当の詩人が二百年前に亡くなっていようとも。これこそは、読むという行為によって死せる作家の声が甦り、文学が不滅の生命を帯びる瞬間である」(同書第一章)。
 この、あまりにもバーバラ・ジョンソン的な論理展開に接して、わたしはすでに彼女が文学を語っているのか自身を語っているのか、墓碑銘を語っているのかモノリス的 AIを語っているのか、あまりにも混沌として区別がつかない。だが、最晩年の遺作でとうとう生死の境すら脱構築してしまった批評家のテクスト群が、とうにわれわれの血肉を成し、これからも蘇生し続けるであろうことだけは、疑いを容れない。

2010/1/11 月曜日

『その夢のつづき』(波津尚子著)

Filed under: 寄贈本紹介 — The Aramaki @ 19:59:51

『その夢のつづき』(波津尚子著/文藝春秋企画出版部)
 「80年代前半、『SFアドベンチャー』に4作品を発表後、突然姿を消した幻の女流作家。今、成熟をみて再登場!」と、帯文に書いたのは筆者である。
 センスのいい装幀の本短編集(ハードカバー)に収録された目次と簡単な紹介は、次のとおりだ。
 ①モデルハウスの聖夜(イヴ)
  吹雪の日、モデルハウスを訪れた謎の男は、記憶の底から……
 ②永遠の不在証明
  壁に囲まれた妖塞(カスバ)21の中の生活の不条理。
 ③夢から来たタック
  お前がおれの夢ではなかった。おれがお前の夢だった……
 ④意識体(キュラ)
  キュラは文字通り意識体生物か。
 ⑤力尽き、その魂が土へ還るまで
  女性がだけが死滅するパンデミック世界で、私は子供を産むだけの機械にされる。

 SF色、ホラー色の強い作品が揃っているが、それだけでない。この作家の特徴は〈不条理性〉である。
 平易な文体だが単に平易なのではなく、レトリック力に注目。ために、情景描写が生き生きとしている。
 たとえば、
 ○人影のない場内で、吹き曝しの休憩所に据えられた赤いベンチが、凍った脚を踏ん張って風に耐えていた。(隠喩)
 ○(車の)開けたドアが、手からもぎ取られるように全開した。(直喩)
 ある意味で、女性の不条理性を意識するフェミニズム作家と言えるかもしれない。
 身体的である。あるいは生理的表現が武器となり、SF界に新境地を切り開く可能性は十分あると思います。

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