2013/3/26 火曜日

意識が消滅した者との共生は可能か――八杉将司『光を忘れた星で』を読む

Filed under: 評論 — Akira OKAWADA @ 18:14:07

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意識が消滅した者との共生は可能か――八杉将司『光を忘れた星で』を読む

 岡和田晃

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 本稿では八杉将司の傑作スペキュレイティヴ・フィクション『光を忘れた星で』(二〇一一年)を論じる。
 一九七二年生まれの八杉は、第五回日本SF新人賞の受賞作『夢見る猫は、宇宙に眠る』でデビューした。同作は、人格を模倣するAIトゥインと発達障害のヒロインであるユンの認知の問題を宇宙論的な規模に拡張させながら――量子論とナノテクノロジーを軸に――荒巻義雄「柔らかい時計」(一九六八年)や、川又千秋/トマス・ラマール『Death Sentences』(二〇一二年)のような、火星を舞台にしたスペキュレイティヴ・フィクションの伝統に連なるものとなっている。とりわけユンの存在論的位相は、近年では仁木稔「はじまりと終わりの世界樹」(二〇一二年)の「姉」と、まさしく表裏一体をなしている。
 八杉は本質的にガジェットからストーリーを考える作家であり(*1)、荒巻義雄の艦隊シリーズなど、シミュレーション小説に強く影響を受けている。八杉は、何よりもガジェットを利用し作品を組み上げていく過程で、独自の問題意識を入れ込む「ブリコラージュ」の作家だと言えるかもしれない。その真骨頂は『Delivery』(二〇一二年)に現れているが、『光を忘れた星で』はブリコラージュ的な方法論で、現代文学の思想的なエッジを切り取った作品となっている。

 「全人類盲目!」というキャッチコピーで登場した『光を忘れた星で』は、盲目の語り手による、視覚描写を徹底して排した世界が描かれる。H・G・ウェルズの『盲人の国』(一九〇四年)を意識したと言われる本作は、伊藤計劃『ハーモニー』(二〇〇八年)への応答を含んでいる(*2)。
 その『光を忘れた星で』を何よりも特徴づけるのは、『ハーモニー』で問われたような自意識の消滅を「視覚」と密接に関わるものとして描いていることだ。
「動くものが見えない」世界を描いた短篇「ハルシネーション」(二〇〇六年)の延長で考えられた『光を忘れた星で』では、徹底して視覚描写を排した世界を描くことで、読者に視覚情報に頼らない認知のあり方を追体験させることが企図されている。SF評論家の横道仁志は、このような『光を忘れた星で』のスタイルを「減算法の発想」と呼んでいるが(*3)、それではなぜ、視覚が(自)意識と結びつくのか。それは、視覚があまりにも多くの情報を、脳のなかに送り込むことに由来するだろう。

 『光を忘れた星で』の作中では「現在の我々が目を退化させたのは、それほど過剰な情報の奔流を脳の中で塞き止めるか追いやるかして自意識を救おうと適応した結果」だと語られるが、実際に、「無我の目」という、自意識(自我)を滅殺することで、余剰情報を脳からシャットアウトし、遺伝的に刻み込まれた視覚情報を再生させるという技術が伝播されている。
 本作の語り手は「アピス」と「マユリ」、複数の名を持つが、この世界では自我のあり方すらが、一種のタグのように可変的なものとして取り扱われている。やがて、本作では「リジェネプロジェクト」という視覚を再生させる試みが登場するが、その被験体に選ばれ、施術に成功した語り手は、得られた情報を適切に選別できずに苦しむ。語り手と「リジェネプロジェクト」の仕掛け人、「カリン先生」との対話を見てみよう。

 知識とは視覚で得られた情報の選別である。たとえば手元にあるゲロ桶。ゲロ桶は大きな円筒状の器で、触ればそれとわかるのだけど、視覚だけでは支離滅裂な感覚しか伝わってこないのでゲロ桶であると特定できなかった。ようするにゲロ桶の視覚の感覚記憶がないために情報の選別ができないのだ。
「でもね」と、カリン先生は言った。「視覚による形状の記憶があなたにないわけじゃないの。これまで無我の目で周囲を『見ていた』から、無意識には視覚感覚の記憶があるはずなのよ」
「無意識ですか」
 では、意識したら掘り起こせるのかと思ったけど、何もそれらしきものは浮かんでこなかった。
「意識できないので無意識って言うの。実際、無我の目で指の数当てができてるでしょ。あれは手や指の視覚情報が脳にちゃんと刻み込まれているからよ」
「ああ、そうか。指の形がわからなかったら数も当てようがないですものね」
「そういうこと。あなたは視覚感覚で周囲のものを改めて感じ直して、それにこれまでの知識を当てはめて選別していかなければならない。そうすることでようやく意味のない無秩序な感覚でしかない今の視覚が、自分の意識の上で使えるようになるわ」
「……ものすごく面倒くさいですね」
「それでも無意識の視覚すらもなかった場合より選別はつけやすいと思うけどね。感じ直すことは無意識の記憶を引き出すことにもなるだろうから、うまく行けば芋づる式に記憶が表層意識に現れてくる。案外、早く視覚を使いこなせるようになるかもよ。がんばりなさい」(『光を忘れた星で』)

 この対話から見えてくるのは、視覚体験が意識的なものとして扱われていることだ。『光を忘れた星で』が参考文献に挙げている『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』 (二〇〇四年)(*4)においては、視覚は二つの異なる働きをすると説明されている。つまり視覚は「行為」を制御し、かつ、表象を作り上げる「知覚」の機能をも有するのだ。そして脳は、まったく異なる二つの独立したシステムによって、「行為」と「知覚」を、それぞれ処理しているというのである。この際に生じるずれが、私たちの自意識に負担をかけることになる。「行為」と「知覚」は扱う時間軸も異なれば、機能にあたってのプロセスも異なる。それゆえ、視覚的な現象の多くは、体験の外部にあるものとみなされてしまうという次第だ。

 『光を忘れた星で』の舞台である植民星では、視覚のもたらす情報の洪水によって人々が無軌道な暴走を続けたがゆえに、人類はかつて保持していた高度なテクノロジーを失ってしまったと語られるが、体験の外部から視覚の機能を取り戻すために編み出された「無我の目」によって、かえって「視覚」の記憶に淫してしまい、「行為」を独り歩きさせた「トロル」あるいは「バルバロイ」とタグ付けされた主体が登場する。『光を忘れた星で』の後半では、「バルバロイ」との戦争がクローズアップされるが、「バルバロイ」が今後どのように進化するのか、それが明らかにされる箇所を見てみよう。

 人間の肉体は、意識という機能を嫌でも持ってしまう構造をしている。二本足で立ち、自由に両手を扱え、言語を駆使できる喉と口を持ち、ほかの動物に比べれば無駄と思えるほど神経にゆとりがある脳を抱えているのだ。
 バルバロイもいずれ意識を取り戻すであろう。しかし、それはおそらく視覚中心の自我のない意識になる。そんな意識がどのような思考をしているかは想像もできんがね。
 どんな意識であれ、意識は意識だ。意識は進化に有利な武器になる。意識によって思考を操作し、複雑で精緻な行動を起こさせる。他人を認識して会話ができ、関係を持つことで社会を作れる。そんな意識を持った動物は、どれほど厳しい自然淘汰にさらされても生き残れてしまうだろう。それが幸か不幸かは別としての。
 バルバロイはすでに社会を作り、強い仲間意識を持っている。その新しい意識を芽生えさせていると考えてよかろう。
 そして、その意識とわしたちが持つ自我意識とは決して交わることはない。意識が違えば共感もできぬ。当然だ。「私」がない相手を信用できるかね。
 バルバロイは視覚が持つ強みを存分に発揮して、わしたちを滅ぼしていくだろう。(『光を忘れた星で』)

 『光を忘れた星で』のラストでは、「互いが異なった世界に生き、思考も感情も自我の有無すら違う存在であっても、共有できる感覚が一つでもあれば友達でいられる」と、「バルバロイ」と化したかつての友人「ルーダ」(または「レイ」とタグ付けされた者)と、語り手が共存する道が模索される。アシモフの「夜来る」(一九四一年)では、日蝕によって、二〇〇〇年ぶりに「夜」が訪れた者たちが狂気に陥る様子を描いたが、『光を忘れた星で』においては、「夜来たる」の狂気を越え、意識が消滅した「バルバロイ」の《生》も表象可能で、共生することは可能であると、静かな確信をもって示唆されている。
 人間の脳は「行為」を自動的なシステムで制御し、表層意識にのぼらせることなく「知覚」に基づいて表象機能を働かせ、各種計算を行なわせることができるのだから、ミラー・ニューロンを活用し、「バルバロイ」とも共生することが可能だろう。こうした《生》の提示は、『ハーモニー』以後のコミュニティのあり方を、誠実に模索しているものと言えるだろう。

 『ハーモニー』でチェチェン紛争が示唆されるように、伊藤計劃が切り拓いた現代SFの新たな地平においては、現代の紛争状況が大きな枠組として影響を与えている。『光を忘れた星で』は、知覚の問題に特化した思考実験を行なうことで、『ハーモニー』が提示した問題が、より明確なものとして整理されている。『ハーモニー』と『光を忘れた星で』は、対にして読まれる必要があるだろう。

【脚注】
(*1)八杉将司×岡和田晃「八杉将司インタビュウ」「SFマガジン」二〇一二年七月号、早川書房。
(*2)八杉将司×高槻真樹「八杉将司『光を忘れた星で』インタビュー」「SF Prologue Wave」(http://prologuewave.com/archives/1209)、二〇一一年。
(*3)横道仁志「2013年版 日本SF最新ブックガイド150 八杉将司」『SFが読みたい! 2013年版』、早川書房、二〇一三年。
(*4)メルヴィン・グッディル、デイヴィッド・ミルナー『もうひとつの視覚 〈見えない視覚〉はどのように発見されたか』鈴木光太郎、工藤信雄訳、新曜社、二〇〇八年。

2013/3/8 金曜日

杉山恵一氏追悼「ドンブラコンルポ」掲載

Filed under: 寄稿, 追悼文, イベント — 高槻 真樹 @ 2:10:21

  杉山恵一氏は、静岡大名誉教授にして環境運動家。日本に「ビオトープ」という言葉を紹介した人物でもある。だがそんな杉山氏には、ほとんどSFといっていい幻想的な前衛小説家としての顔もあった。

一昨年の第50回日本SF大会「ドンブラコンL」に地元静岡の作家として颯爽と登場、その独創的な作風でSF界を騒然とさせた。その後『しずおかSF 異次元への扉』でも紹介され、ますます関心を高めている。

そんな中、昨年末、杉山氏が他界されたことを報告しなければならないことは痛恨の極みである。まさしくこれから、というところだったのに……だが、私たちの前には、たくさんの知られざる作品がある。ここに紹介するのもその一本で、ドンブラコン参加直後に書かれ、静岡の文芸同人誌「エプシロン」に掲載された「SF大会参加ルポ」である。ルポであるのにまるでSF小説のような手触り。これほどの書き手がもういないことに無念の思いを禁じえないが、ここに紹介することで、杉山氏追悼に替えさせていただきたい。転載をご快諾くださった美智子夫人、およびエプシロン主宰者の上野重光氏、本稿の意義にご理解をいただいたドンブラコンL実行委員長の池田武氏に感謝いたします。(高槻 真樹)

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SF全国大会探訪(7IX11)

杉山恵一

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昨年(2010)の秋、異界からの声が頭上に聞こえ、「汝静岡のSF作家よ、SF全国大会に来たれよ」と告げたのであった。

というのは真っ赤なウソで、事実は次のようなことである。ここに高槻真樹氏という若きSF(サイエンス・フィクション)評論家がおられて、2011年度のSF全国大会なるものを静岡グランシップで開催するに当たっての責任者の一人を務められることになった。その関係で静岡県下のSF作家、および静岡を舞台・題材としたSF作品あるいはSF的作品を探索していたのであるが、その触手に私の作品が感知されたということであった。その作品とは1984年の文芸静岡50号に掲載された「黒目のワルツ」という超短編であった。評論家というものの探索力には驚かされたが、生物分類学者である私が専門分野の生物の新種や珍種を探し当てる能力になぞらえて理解することができる。なおSFの全国大会は毎年どこかの都市で開かれ、静岡で開かれる2011年の大会は、50回目という記念すべき大会であるということであった。大会は9月3~4日に開催されることになっていた。

高槻氏とのコンタクトは、氏が藤枝文学館に私の連絡先を問い合わせたことに端を発している。文学館の事務の女性から、そのひとに住所・電話番号を教えて良いだろうかと訊いてきたのであるが、私の方はがぜん緊張した。なぜならば、これまで私の作品に強い関心を示してくれたひとびとの中には、なにやら普通でない人物が少なからずあったからである。私自身はご承知のようにきわめて常識的な人間であるが、私の作品からはどうやら沼地の住人を呼び覚ます波長が発せられるらしく、そのような人びととの対応には苦慮させられた経験があった。これは先手を打つに限る、と判断した私は文学館事務から教えられた相手の電話番号に電話をした。電話に出た相手はハキハキした話しぶりで妖しい雰囲気ではなく胸をなで下ろしたのであるが、その話の内容はやはり驚くべきものであった。それは、「黒目のワルツ」はまぎれもなくSF作品であり、それを書いたわたしはまぎれもなくSF作家である。だから翌年静岡グランシップで開催されるSFの全国大会に地元作家ということで招待したい、というものであった。

その後のやりとりはすべてメールということになったが、漱石をめざしてがんばってきた私にとって、SF作家として評価されるということは、なにやらトカゲに脇腹を舐められるような感じではあった。しかし高槻氏とひんぱんにメールのやりとりをしている間に、しだいにこの大会に対するプラスの認識が深まっていったのである。そのひとつはこのSF大会なるものが好い加減な組織ではなく、1962年という早い時期に筒井康隆氏などをメンバーとして発足し、すでに49回の全国大会を踏み行っているという信用の問題であり、さらにもうひとつのこととして、永年念頭にあった疑問、若手の書き手たちは今どこでどうしているのかという疑問を解く鍵に触れることができるかもしれないという期待であった。

私は1970年代から「文芸静岡」を機関誌とする「静岡県文学連盟」(県文連)という集団に所属し、いちおうは明治以来の文芸の本流とおぼしき純文学の書き手たちの間に身を置いてきた。もちろん本誌もその系統のものである。これまで、自分の作品はどうもいわゆる純文学らしくないところがあるとは思っていたが、SF作品であるなどとは夢にも思っていなかった。ガルシア・マルケスの作品が純文学なら自分の作品も純文学であるとの確信を抱いていたというわけである。ただし、今読み返してみると、同人のなかでは変わり種であったかなという感じはある。
それで、そのようないわば伝統的文芸集団であるが、その悩みの種は後継者たるべき世代の参加がさっぱりないままに年々高齢化しつつあるということである。県文連の平均年齢もおそらく70才になんなんとしているのである。だから、たまたま50代の参加者があったりすると(若手がきた)とざわめき立つというわけである。それで、ときおりその仲間内で、
(いまどきの若者は文学に興味がないのだろうか)
という疑問について話し合うこともあった。しかし、はかばかしい解答は得られないのが常であった。それが、高槻氏の話によれば、毎年のSF全国大会には1000人を越す参加者があるということであり、もっと後になって知ったことだと、その参加費はじつに2万円であるということで、その隆盛に驚くとともに、
(なるほど、若者達はここにいたのか)
という感慨を覚えたのである。この辺から、このSF大会に参加することの積極的な気分が生じたことになる。

そのうち、大会の実行委員会から大会準備の進行を示す冊子が送られて来るようになったのであるが、それによると、SF大会と銘打つものの、その内容はマンガ、アニメ、コスプレ、プラモデルなど最近世界に進出しつつある、わが国サブカルチャーのすべてを含むものであるということが分かって、ますます興味がふくらむのを覚えたのである。
実は私も最近わが国の、すでにサブカルチャーの領域を越えつつある新しい文化の潮流には深い関心を抱き、それなりの勉強はしていたのである。それは、われわれの世代を中核とする世代が構築した、ものつくりを主体とした産業国家日本が、近年周辺の国々の追い上げによって衰退をやむなくされつつあり、ものつくりに代わる国家プレゼンスの手段の模索の中で、この文化的思潮と表現をグローバルに押し出していこうという、いわば国家戦略が成立したのであるが、そのことに関心を寄せていたからである。私などのような戦前・戦中に生を受けた民族主義派にとって国家戦略という感じのことには特別な関心がもたれるのである。それでその向きの書籍などを読みあさっていたのであるが、その実態に触れることはあまりなかったのである。それが、この大会によって向こうから来てくれることになったことは、大きなチャンスであると考えられた。ともかく、参加費の大枚二万円を出して、全国から千人以上の人間が参集するということはただ事ではない。われわれ旧(純)文学に身を置くものはこの大きなギャップの彼方の、エネルギーに満ちた動向におおいに関心を抱くべきである、と私は考えたのである。

高槻氏の静岡県にかかわるSF作品、SF作家の探索はその間にもたゆまなく続けられ、その成果は、大会関係のブログにつぎつぎ掲載されていったのであるが、まず驚かされたことは、その作品の数の膨大であることであった。もっとも、ごく部分的に静岡に触れたものが大部分であることも事実である。また、SFと認定する作品の範囲もきわめて広く、たとえば「かぐやひめ」伝説もSFと認定するといったことである。ご承知のように、かぐや姫の出生地は富士市とされているのである。その中で注目されたのは、藤枝静男の「田紳有楽」、吉田知子の「無明長夜」など県在住の著名作家の作品がSF(的)としてリストアップされていたことである。このことにはある戦略が隠されていることを感じたのであるが、そのことについては後で述べることにする。

高槻氏とのやりとりが始まったのは2010年秋のことだったが、翌2011年はわが国にとってきわめて多難な年になった。ご存じ東日本大震災とそれにともなう前代未聞の大津波、かてて加えての原発事故がそれである。私が役員を務める団体もその後始末にかかわったこともあって、3,4ヶ月はSFのことは忘れていたのであるが、夏も終わりに近づくにつれ大会へ向け手の動きがあわただしくなっていった。
そこで9月3日の当日であるが、その数日前から台風12号なるものが太平洋を本州に向けてゆっくり、真一文字に接近しつつあった、実はこの台風によって紀伊半島はこれまた前代未聞の出水被害を受けることになるのであるが、それが分かるのは大会終了後のことで、当日は台風の余波で風雨が強いといった程度であった。
会場へは10時頃に着いたのであるが、全館貸し切りのグランシップの内部はただならぬうごめきに満ちていた。それは、われわれ世代にはいろいろと濃すぎてプレッシャーになる鳥山 明のマンガの雰囲気といったらよいだろうか。そして、ごった返すこの館内で例のケータイの恩恵によって高槻氏と初めて対面することができた。予想していたように敏感さを秘めた好青年であった。
私の出演は13時からの、「杉山教授の奇妙な冒険~ビオトープから奇想小説まで~」というおどろおどろしいタイトルの対談で、高槻氏の司会でSF評論家の北原尚彦氏との3人で行われた。北原氏とも会場での初対面であった。参加者は50人ほどの会場に30人ほどであった。その内容については別の機会にゆずるとして、ホントかウソかまずまずの出来であった、というのが高槻氏の感想であった。

それでは改めて、あの巨大なグランシップを借り切ってのこの大会がどんなものであったかを簡単に説明することにしよう。ただし、私にとってこの様なイベントはヘソの緒切ってのことであり、頭の固い老人のことであるからして、とうてい十分なものではなく、ざっとした説明にすぎないことご承知おき願いたい。
まず、メインの内容をもつ有料エリアは九階の10部屋、十階の7部屋、そして、私の対談がおこなわれた十一階のひと部屋の合計18部屋で、3日に50、4日に42、合計92の催しがもたれた。そして、一、二、三および六階が無料の一般公開の場として用いられ、ここで、3日に13、4日に14の催しがあった。開会式、星雲賞の授与式もこのエリアで行われた。特筆すべきことは、開会式のおり、最近七月に物故されたSF作家の重鎮、小松左京氏の追悼がおこなわれたことである。

これらのスペースでどのような催しがあったのかということであるが、あまりに多様で総説することは難しい。しかし、おおよその分類として、ロボット・プラモデル系、アニメ・マンガ系、コスプレ系、SF文芸系、その他ということになるが、何とも分類困難なその他が数としてはもっとも多数となる。
ロボット・プラモデル系はその性格上視覚的な大勢を占めるものであった。初めての入場者にはこの種のもののみの催しかと受け取られるかも知れない。表現としても映画、プラモデル展示に加えて、一階の大ホールでは「ホビーロボット コロッセオ」の看板を掲げての、リモコンによるロボットの格闘競技がおこなわれ、子どもたちの人気を呼んでいた。このほか、プログラム所載のタイトルのみで示すと、「ロボット幼年期の終わり」、「攻殻機動隊S.A.C SSS 3D映像シアター」、「ハセガワプラモの部屋」、「タミヤボックスアートの系譜」、『「ロボットと美術」展の裏側』その他、ということになろうか。タミヤ、ハセガワは静岡県に本拠をおくプラモデル企業である。今回静岡でこの大会が開かれたことの理由のひとつにこのことがあるとおもわれる。
アニメ・マンガ系は、タイトルから把握されるところでは、「辻真先さんと体験するSFアニメの半世紀」、「SFアニメ2010年代の展望」、「アニメぐだぐだ企画」、「とっても大好き!藤子・F・不二雄の世界」などであった。
コスプレ系は「コスプレ小谷杯2011」でコンテストが行われたようであるが、一般の会場ではときおり熱帯魚のような服装の女性がちらつく程度であった。代々木公園でのような奇抜プラス豪華なものには私は出会わなかった。
最後にSF文芸系であるが、これはその本質上視覚的には地味な分野である。「SF創作講座」、「机上理論学会発表会」、「ライトノベル2011」「表現と法規制に関するミニシンポ」、「翻訳家パネル」、「電子出版とこれからの出版社」などがそれに該当するであろう。私の「杉山教授の奇妙な冒険」もこの中にふくまれる。

このように盛りだくさんなイベントであったのだが、私はその大部分に参加あるいは見学することができなかった。なぜかというと、六階に設けられた展示ギャラリーに自著の販売ブースを与えられていて、その店番に終始していたからである。
展示場は広いホールに設けられ、一区画は長さ1.8メートル、巾30センチの長机が与えられ、そのようなブースが50ほどあった。それぞれの商品は雑多で、ミニチュアのたぐいが目についたが、私などには意味不明のものも多かった。自著を売るということは早い段階で高槻氏から勧められていたのであるが、私は大いに関心を抱いていた。いままで10種を越える著書を出版していたが、売れたのは具体的事実を扱った、たとえば「南アルプス探検」であるとか、「藤枝物語」のようなものだけで、たいへん空想度の高い、つまりSF的なもの、言語実験的なものが売れたためしがなかったからである。先の対談で、パネリストをつとめていただいた高槻、北原の両評論家がだいぶん持ち上げてくれたことで、期待して待機していたところ、次々に買い手があらわれて、2日間で無慮20数冊が売れたのである。このままシロアリの餌食となるかとあきらめていた本だけに、その感激は大きかった。

翌四日も台風余波の雨はつづき、紀伊半島の被害状況も報道され始めていたが、幸い静岡の被害は軽微で、大会はつつがなく17時をもって終了した。
最後に少々資料的なことに触れておくことにする。
この集会の主体である組織の正式名称は「日本SFファングループ連合会義」という。その規約第三条には会議の目的として、
「日本SFファンダムを構成するグループ間の交流と共同を円滑にし、日本SFファンダムの活動を促進することを目的とする」
とある。そして、その運営は各加入グループから送られる一名の代表からなる「協議会」によるとされる。その具体的な事業としては、毎年各地で開催される「日本SF大会」の準備・運営と、そこで授与される「星雲賞」の決定が主なものであるようである。
このことからも分かるように、この大会の枠組みはきわめてゆるやかなもので、自らのグループなり組織の活動内容がSF的と考えた任意の団体によるパフォーマンスの総体であるとしてよい。一種お花見的な催しであるが、既存の組織では受け皿の役を果たし得ない、新たな芽生えともいえるもののよりどころとして果たした役割は評価すべきであろう。宇宙空間に散在する小物体が集合して星雲を形成するようなもので、この大会で授与される「星雲賞」の名称は卓抜である。そして巧まざる結果として獲得したエネルギーは膨大なものである。旧文化に所属する諸団体は、そのかたくな姿勢によってそれを導入しえなかった、ということであろう。
この組織のもう一つの特色は、海外の先行するSF文化との同調である。欧米とりわけアメリカにおけるSF文芸の歴史は古く、その作品コンテストの第一回が早くも早くも1938年にニューヨークで開催されている。その後第二次大戦で5年の空白があるが、それ以後は毎年開かれ、本年(2011)もネバダ州で開かれている。「日本SF大会」でも 毎年海外作品に対して短編、長編各1作に対して星雲賞」が授与されている。今回の大会のプログラム冊子にも、外国の受賞者の謝辞(英文)が掲載されていた。

さて、以上がわたしの静岡SF報告であるが、このようにエネルギーに満ちた「敵」の状況からすると、われわれ「純文学」系はとうてい太刀打ちできず、高齢化とともに淋しく消えてゆく運命にあるのであろうか。耐え難く哀しいことといわねばならない。しかし一方、「敵」は必ずしも無敵ではない、それなりの弱味を抱えているというのが「純文学」派を自認する私に、直接の興奮が覚めた段階で醸成された感想である。エプシロン同人・読者のためにそのあたりのことを、希望的観測をふくめて申し述べることにしよう。

まず、当初私が予想した、うらやむべき「若者」達の集合する場という点であるが、この大会に集合した人びとをつぶさに観察した私の結論としては、そこに参集した人びとは予想していたほどには若くはないということがある。平均したならば30代後半、もしかしたら40の大台に乗っているかも知れない。すでに絶対的には若者とはいえないのである。このことから、この集団にもわれわれと同じ悩み、高齢化の悩みが微かに兆し始めているのではないか、という感じを私は抱いたのである。そういえば、入場後しばらくは渦巻くエネルギー以外には感じなかった会場の雰囲気に、ある自足の気配が感じられるようになったのである。自足はたやすく沈滞に結びつく心的傾向である。そこで、ある定点に位置して観察を始めたのであるが、それはプラモデルを販売するブースを眺められる位置であった。人気のスポットであるらしく、絶えず人の足をとどめていたのである。プラモデルをつくづく眺め、また手に取るのは多く青年晩期の人びとであったが、その目にある種内向きの感慨が宿されているのを私は見逃さなかった。それは幸せに満ちた自らの幼・少年期を懐かしむ気配にほかならなかった。

それと同じような場面を、私はまったく異なる場で経験したことがある。それは毎年九月の秋分の日を期して東京はサンケイホールで開催される昆虫標本のバザールにおいてである。広い会場に設けられた100以上のブースの各々に、昆虫少年の慣れの果てといった人物が陣取って、内外の昆虫の標本を販売するのであるが、押しかけた人びとの大多数の年齢は明らかに60才以上である。つまり終戦後の、まだプラモデルなど見たこともない時代を、昆虫少年として過ごし、自然の思い出をはち切れんばかりにつめこんだ人びとである。老いたる昆虫少年である私は、そこで毎年同じ顔ぶれの昆虫老人達、「夏の森」からさまよい出たような連中と挨拶を交わすことになるのである。
どうやら人間、とりわけ男性は、感受性に富んだ一時期に心に刻んだ世界から一生離れることのできない生きものであるらしい。このSF集団を支える人びとの人格の基盤を形成する幼少時期を想像すると、鉄人28号、ウルトラマンなど登場の時期をすでにはるか後にした、怪獣、怪人、恐竜、そして宇宙、宇宙人、などが大活躍をするマンガ、アニメの最盛期である。つまりわれわれ世代の多くが自然物、自然界そのものを人格構造に組み込んでいるのと同じように、この年代の人びとは今述べた超自然的な存在と一体化した人格を所有していると思われるのである。現在のSF界はこの様な心性の人びとによって支えられているのである。そして、その時代と同様なマンガ、アニメはさらに進化・発展をとげて現在に達しているようにも思えるのだが、私は何かが微妙に変化しつつあるように思える。それについては後で触れることにしよう。

それともう一つ、この大会を総体として眺めたとき、中核として存在するSF文芸とそれ以外の要素との関連性というものが、やや必然性に欠けるような気がした。もちろん、お花見、カーニバル的な催しであるからして、雑多であることに意味があるとは考えられるのである。むしろ私が感じたのは、逆に真の雑多性が欠けているという感じに近いものであった。
この催しの歴史をたどると、東京・目黒1962年に持たれた第一回大会にゆきつくことになる。私が大学を卒業した年で、60年安保の記憶も生々しいころである。参加者180人とあるから大会と名のるのもおこがましいといった感じである。この頃は作家としては小松左京などが知られるのみで、筒井康隆が頭を出したばかりといった状況であったと思われる。その筒井氏が実行委員長をつとめた第3回(1964)の大会の参加者が150人ということでも、そのころの氏の知名度が知られる。この頃会を運営するのは、地味な研究グループであったと想像される。しかし、アメリカでは先に述べたように、すでにSF大会20回という歴史を経ており、相当数の作品も発表されていたであろうから、そのようなものを熱心に研究していた状況が想像される。参加者が常に1000人の大台を越えるようになるのは1980年代になってからで、このころから、若者文化、サブカルチャーとしてのマンガ・アニメが隆盛を迎える。このあたりから同時代性をよりどころとして、それらのすべてがこの大会に寄り集まったと思われる。小惑星が寄り集まって火球を生じたような具合に、現在に見るような巨大なエネルギーを生じたのであろう。それは、自然にそうなったというのではなく、運営者側の意識・無意識での作戦、古代ローマが周囲の民族に市民権を与えることによって巨大化したような「作戦」があったのではないだろうか、と想像される。そして、この巧妙な作戦は現在も受け継がれているように思われる。先に述べた、藤枝静男、吉田知子など純文学の作家の作品を、SF的ということで取り込もうとしていることは、純粋SF作品にはどうしても二の次ぎにならざるをえない内面性というものを、自家薬籠のものにしようという作戦であると考えることもできる。しかし、このような、いわば無原則の拡大が、発足当時のような純粋なSF文学路線の成長に果してプラスに働くのかどうかは、予断を許さないところである。

このようなカーニバル的な大会では、SF文芸の存在感は希薄にならざるをえないのであるが、もともとの根幹である、その現状はどうなっているのであろうか。これは大会報告の枠をこえるものであり、おびただしい数の作品を読まなければ正鵠を射た評価は難しいのであるが、私のこれまでに触れたわずかの作品と、大幅に想像、それも旧文学に有利な希望的観測を交えて最小限のところを述べることにする。
まず想像されることは、この分野では、発足時の伝統を踏まえた研究活動が継続されているということである。それは先に述べたいくつかの集会の名称にもその片鱗を見ることができるのであるが、定期的な事業として、SF評論賞というものも毎年出されているようである。ちなみに高槻氏も近年の受賞者のひとりである。氏の外国SF作品やその著者に対する知識・見識は高いもので、そのことからもSF文学界が決してカーニバル的イベントに終始しているわけではないことが知られるのである。
私のSF文芸に対する認識は非常に浅いもので、海野十三に始まり、小松左京に終るといった程度のものであるが、外国のSF作品をベースにしたであろう映画、たとえば「猿の惑星」や「スターウォーズ」、「ハリーポッター」などは、時にテレビなどで瞥見することで、どんなものであるかを概観することはできたのである。しかし、それらは今のところみないわゆる娯楽作品であって、この様なものを含めての評論活動も表面的な、技術論に終始するものであると想像されるのである。ところが、最近それとは別の方向性をもった現象、言うなればすべての芸術の分野への、従来はSFに固有の要素とされてきたものの拡散という現象である。そのような事は当然純文学の範疇に属するものにも言えることである。つまり、SF文芸と旧あるいは純文芸との境界が不明瞭になってきたのである。このことはおそらく、SF研究界にとってやっかいなことであると同時に新たな発展のきっかけともなるのではないかと考えられるのである。つまり従来の純粋に「空想科学小説」としてのSFに当然のことのように欠如してきた、人間の内面のいとなみといった要素を加味する条件が生じたということにほかならない。先に述べたように、SF評論界では、SF的要素の強い純文学作品を吸収する作戦を決定したようである。今後はSF界内部からの純文学的SF作品の誕生が待たれるというものである。

ところで最後の付け足しとして、少々今大会のことを離れ、もう少し広い視野からSFその他を含む現今の文化事情を考えてみることにしよう。わが国の若者文化、マンガ・アニメ、その派生要素としてのファッション、コスプレなどは、いまやサブカルチャーの域を脱して、グローバルな文化になりつつあるようである。じつは私も偶然その渦の中心を垣間見たことがある。それは東京ビッグサイトにいったときのことである。おびただしい数の少女達が同じ方向に歩いていた。その異様な雰囲気に、私もその流れに巻き込まれるようなかたちで進み、やがて巨大なホールにたどり着くと、そこにはそれこそ何百というブースがもうけられ、何千という数の主に少女達が夢見るような目つきで周遊しているのであった。各ブースにはそれぞれマンガ作家の卵やひな鳥たちが陣取って、自作の展示・販売をしているのであった。つまり、ここはマンガ文化の渦の中心であったのである。その規模と熱気に私は圧倒されたのである。
これと同じような年齢層の少女達の集合する場所として原宿駅を中心とした地域が有名である。私はその横町のマンションにお堅い環境関係のNPOの事務所があるので、時に訪れるのであるが、ここに展開するすべてが私などには異様で不可解である。とりわけ、この近くの代々木公園などで演じられるコスプレと称するものは理解の範囲を超えるものであった。しかし、ここでも私は本物のすごみを感じることができた。それはある日、10人ほどの欧米系のコスプレ少女達の一団に、原宿の陸橋の上でであった時のことである。私は、その扮装の豪華さ、そして何よりもその少女たちの、確信に満ちた倨傲ともいうべき眼差しに圧倒されたのである。たんなる仮装行列ではないなにかを私は感じることができたのである。このような私など古物には想像を絶する文化こそ、プラモデル時代のつぎに位置することになるのであろうと思われるのである。今回の静岡大会でもマンガはそれなりに扱われ、コスプレも演じられたのであるが、それはたんにそれらとの同時代性を誇示する程度のものにすぎなかった。

それで、このような異様な文化の意味・意義についてであるが、このまま引き下がるのも悔しいので、多少の解釈を述べてみたい。残念ながら感覚的にはとうてい理解できかねるので、私自身の専門である生物学的な切り口でひと理屈こねてみることにする。
そもそもマンガ文化というものは子ども向けのものである。しかし、子どもといっても実際には五歳から十五歳くらいまでのあいだにいくつかの層が存在するのである。欧米文化圏では、ルネッサンス以後のある時期に「子ども」の発見があり、それ以後子ども向きの様々な文化、たとえば絵本、人形、おもちゃなどがかなり意識的に生み出されてきた。わが国での伝統文化の中でも、これと平行した流れは存在していたのであるが、戦後と呼ばれるこの数十年にわが国で発達したマンガは、絵本などが限定的な年齢層のもので、ある時期で卒業すべきものであったのに対して、もっと幅広い年齢層、言うなれば子どもから大人までの連続した年齢層をカバーする内容をもつものであったと思われる。マンガをそのように進化させた功労者としては、やはり手塚治虫を挙げなければならないが、マンガと並行的に発達したいわゆる劇画の補完的役割も大きいと考えられる。このような絵解き童話から絵解き小説に発展したマンガが、文学に先んじてグローバル化し得た要因は、誘致年齢層の連続的延長だけではなく、何よりもその言語を越えた絵解き要素があったと考えられる。しかしマンガ文化の拡大要因、たとえば一般女性にまで拡大されファッション革命を起こした要因は、決してそれだけではないと考えられる。その第二の要因と考えられることこそ、きわめて生物学的なものとなるのである。

生物の個体というものはその意識のいかんに関わらず、種の存続、つまりより多くの子孫を残すべく規制されている。そして、現存の個体群が滅亡の危機に向かう事態が生じる場合、とりわけこの規制が強化される。われわれ人間の場合、貧困・飢餓は生命の危機の一現象であるが、そのような場合、むしろ繁殖衝動は強化される。つまり、「貧乏人の子だくさん」の現象である。植物ではミカンなどが、枯死する前に以上に多くの実を付けることが知られている。
現在先進国といわれる国々は、別の言葉でいえば裕福な国々である。それは個人個人にとってきわめて安全な環境を意味する。栄養についてもじゅうぶんをすぎて肥満が問題になるほどである。この様な生活条件下で、雌雄の個体はDNAに組み込まれた信号によって、繁殖衝動を低下させられることになる。そのことはわが国にあっては、男性の「草食動物化」と呼ばれる現象、つまり性的衝動の低下現象を生んでいるのであるが、女性の場合には性的未成熟をしめす記号を発信することでその対応をなしているのである。それは具体的にはいわゆる「かわいい」という印象の発信である。最近の少女達の服装をみると、その一見のけばけばしさにもかかわらず、あきらかに「繁殖拒否」の記号がふくまれているのである。
さらにもう一つの生物学的要素として考えられるのは、同じく先進富裕国における平均寿命の大幅な延長である。このことによって、比例的に各年齢層が延長されたという事実がある。それは従来ごくわずかな時間差でつながっていた子どもと大人の間に、どちらにも属さない新たな年代が相当の巾を持った層として出現し、その過ごし方にどの國でも困惑していたという事実があるのではないか。そのことは、老後時代にも当てはまることであるが、子どもと大人の中間時代に関しては、大昔から子供的要素を温存してきた社会をもつわれわれ日本が、世界に先駆けてそれに対応する文化を提示したのであると考えてよい。
わが国は、現在社会の退行的進化ともいえる現象に関して最先端をいっていると思われるのであるが、とりわけこの繁殖拒否文化の先進性はそのグローバル化の主要な要因であるように思われる。私は一応環境問題の専門家とされているのであるが、いわゆる地球環境の危機を生み出した要因として最大のものは地球人口の増加であると考えている。だから、この様な人口減少に連なるような文化の一般化に対しては、いまのべたような理屈によって、肯定的な感覚的理解の代用とすることができるのである。

最後は静岡SF大会から大幅に脱線してしまったが、これをもって純文学の砦、エプシロンの同人、読者への報告としたい。それでは、やはりわれわれの伝統的文学はこのまま消滅するのかという嘆きに対しては、次のようにお答えしておきたい。なるほど現在はSF文芸が純文学に取って替わる勢いをしめしつつある。そして、それもまた遠からずして、さらに新しい文芸に取って代られるであろう。しかしその先に私が予想するのは、その理由をここで詳しく述べる余裕はないのだが、数十年後における、永遠の存在であり、万物の母胎である自然を基盤とした古くて新しい文化と文芸の復活、つまりはわれわれが立てこもる伝統的文学に本質的にはきわめて接近したものの復活である。そして、われわれがその「文芸復興」に参加できる可能性がないわけでは決してない。それはそれまでの長寿を保つことに他ならない。がんばりましょう、皆さん。最後の栄光を頭上に頂くために!

2013/2/25 月曜日

佐藤亜紀『醜聞の作法』読書会報告(2011年7月2日)

Filed under: イベント, 報告 — Akira OKAWADA @ 23:35:24

 佐藤亜紀『醜聞の作法』読書会報告(2011年7月2日)

 去る2011年7月2日、東京都新宿区において、佐藤亜紀の長編小説『醜聞の作法』(講談社)の読書会が開催されました。3・11東日本大震災の影響でいったん延期となり、開催が危ぶまれていたのですけれども、参加者の皆様のあたたかいご支援により、無事、開催することができました。心より御礼申し上げます。

 読書会においては、作品の時代背景、モチーフ、あるいは語りの用法、下敷きとなっているテクストとの照応関係など、さまざまな角度から『醜聞の作法』を検討していくことが目指されました。発表者はYukako MATSUMOTO(以下、松本)氏と岡和田晃でした。

 当日は『醜聞の作法』の編集を担当された講談社の奥村実穂氏、二次会からは作者の佐藤亜紀氏もいらっしゃり、充実した会合となりました。

〈『醜聞の作法』内容紹介〉
 さる侯爵が、美しい養女ジュリーを、放蕩三昧の金持ちV***氏に輿入れさせようと企んだ。ところが、ジュリーには結婚を誓い合った若者がいる。彼女を我が子同然に可愛がり育ててきた侯爵夫人は、この縁談に胸を痛め、パリのみならずフランス全土で流行していた訴訟の手管を使う奸計を巡らせた。すなわち、誹謗文を流布させ、 悪評を流して醜聞を炎上させるのだ。この醜聞の代筆屋として白羽の矢が立ったのは、腕は良いがうだつの上がらない弁護士、ルフォンだった。哀れルフォンの命運やいかに──。

〈著者からのメッセージ〉
 人間は驚くほど変わらない。
 アルファブロガーとしてのヴォルテールを想像するのは簡単だ。彼のブログ記事一本でカラス事件は大炎上する。wiki形式で編纂される百科全書を想像するのはそう難しくない。サーバーを転々と変え、イエズス会のハッキングと戦いながら執筆者相互の不和対立を宥め続けるディドロの苦労が偲ばれる。ルソーのDQNぶりには必ずや匿名掲示板にヲチスレ(監視スレッド)が立つだろう。そして勿論その周囲には無数の「住民」が生息し、ブログ代りにパンフレットを書き、Twitter代りにカフェに屯しては風聞を「拡散」し、お上やお上品な物書きからは蛇蝎の如く忌み嫌われるだろう。
 フランス革命は、そうしたお下劣な擬似ネット環境から生まれて来た。その怖さも、危うさも、表裏一体の生産性も、ある意味繰り返しに過ぎない。とすれば我々はまたも混沌たる「近代」の入り口に立っているのだ。
(以上、講談社のウェブサイトより)

 まず、当日は岡和田が『醜聞の作法』について、ロバート・ダーントンの『革命前夜の地下出版』で語られるような18世紀フランスの「パンフレット作者」の話、『女哲学者テレーズ』のようなポルノまがいの「哲学書」の話から、高橋安光『手紙の時代』、16世紀イングランドのシェイクスピアと同時代の劇作家やパンフレット作者にまで遡行していき、英国国教会の支配体制について、パンフレットを通じて批判のキャンペーンを打った「マーティン・マープレリット」(複数のパンフレット作家の合同ペンネーム)についての紹介なども行ないました。
 また『醜聞の作法』は、Twitterのような現在の情報環境とも関係付けて語られることが多い作品ですが、20世紀文学では、それこそTwitter的な言説空間を独力で「発明」してしまったとも言えるミシェル・ビュトールの『合い間』に見られる形式の実験(書物の上段、本文、下段の三つの項目で、複数的に現実を表現する)、さらにはミステリ小説で蓄積されてきた「叙述トリック」の技法と比較・考察する視点を提示しました。加えてガザミ氏の優れた『醜聞の作法』論を紹介いたしました。

 続いて、松本氏はディドロ『ラモーの甥』、ラクロ『危険な関係』、シェイクスピア『真夏の夜の夢』といった文学テクストとの連関性、ヴァトー『シテール島への船出』やボーマルシェ『フィガロの結婚』など、さらには神話のモチーフにも触れ、絵画や音楽にまで広がるインターテクスチュアリティ(間テクスト性)について解説なさいました。詳しくは松本氏のホームページにまとめられていますので、ご参照いただけましたら幸いです。
 また、松本氏は、当日、読書会に参加した方々の感想を別途、集約してご紹介されていますので、併せてご参考として下さい。

 最後に、出席者の方々にそれぞれ、自由に『醜聞の作法』について語っていただきました。本記事ではそれらのご感想を録音から起こし、speculativejapan読者の皆様にご紹介させていただきます。
 参加者は、今泉愛子、安藤魚晴、上原庸輔、おのうちみん、田島淳、渡邊利道、高橋志行の各氏でした(登場順)。

岡和田:基調発表が終わりましたので、皆様にも『醜聞の作法』について語っていただきたいと思います。今泉さんから、どうぞ!

今泉愛子:わたしはライターをやっているのですが、ライターの仕事では、書くときに発注者側が求める結論って、あらかじめ決まっているんですね。本を読んだら「面白い」という感想がほしい、ケーキを食べたら「美味しい」という感想がほしい、人に会ったら「いい人」で……。そういう決まったフォーマットにもう、ウンザリしていまして(笑)。インタビューのように比較的縛りのゆるい仕事でも、真面目な話を聴いて、ちょっとドン臭いところなんかも織り交ぜた(引いた視点での)話も入れて、最後にはやっぱり良い人だった……みたいな基本のフォーマットがあるんです(笑)。
 こういうフォーマットに息苦しさを覚えていたときに『醜聞の作法』を読んだので、その……既存のフォーマットに安住していないというか、読んでいて最後まで自分が結論として設定できるような「枠」をつかめなかったことが衝撃的でした。自分が行き詰まっていたことと、書くことにはまだまだ可能性があるということを、同時に感じさせられて、正直、すごいなあと思いました。私自身は、背景的なものを深く読んだとか、そういう読み方はしていなくて、むしろ物語の枠の問題を考えました。

岡和田:私は意地悪なので、今泉さんが雑誌に『醜聞の作法』の書評を依頼されたらどう書くのか、お聞きしたくなってしまいました(笑)。

今泉:そんな、わたしは文芸誌ではなくて一般誌のライターですので、基本的に1000字以上の枠はもらえないんですよ(笑)。だから、読者層などを考えると、挑戦的なことは書けないんです。で、書評もゴールが決まっています。読者がその本を読みたくなるような原稿というのが基本です。
 たまにわたしも突っ走って、自分がすごく感動したことを中心に原稿を組み立てると、あまりに独りよがりがすぎる、つまり一部の人にしか理解してもらえないんじゃないかと心配になります。私の書く力の問題でもありますが。

岡和田:……難しい問題ですが、媒体による縛りのある原稿でも、見る人が見れば、違いは伝わってくると思いますよ。

今泉:そうなんですね。わたしとしては、『醜聞の作法』は、いま日本で流通している小説によくある「枠」にとらわれていないところ――起承転結があって、結で落とす――というものでははく、どこでどう落としたのか、わからないのが面白いと思いました。

岡和田:ありがとうございます。続いて、安藤さん、お願いします。

安藤魚晴:単純に気になるところなんですが、作中で織り込まれる対話の部分で、「私」や「彼」は、発言者名のあとに二文字アキが入っているの対して、「マゼリ」や「アンネット」の場合は、発言者名のアキはまちまちです。このような処理は、単純に見やすさのために、なさっているのでしょうか。

奥村実穂:編集者として、これは苦労したところなんです。対話する人が「私」と「彼」だけならば、一字空きでいいのですが、ご指摘のとおり、名前がある人が出てくる場合、ページ単位・見開き単位でいちばん長い人に合わせています。その他、行間についても調整しています。1.5行とか、細かな工夫が必要な場所もありました。

安藤:こうした文章の組み方にも、どこか仕掛けがあるのかな、「信頼おけない語り手」が現れていたりするのかなと思ってしまいました。

奥村:そういう仕掛けはありません、どうぞ、ご安心ください(笑)。

岡和田:では、神戸から来てくださった上原さん、お願いします。

上原庸輔:『激しく、速やかな死』にサドの話がありましたが(「弁明」)、あの話にどこか似ているな、と思って読みました。

岡和田:「弁明」は、昔、作家自身が「ギョーム・アポリネールばりの猥本」と「十八世紀の地下出版」について準備をしていると書いていたことがありました。「地下出版」については『醜聞の作法』に結集したのかもしれませんが、この「アポリネールばりの猥本」については、ひょっとすると「弁明」なのかもしれないと思ったことがあります。次、おのうちみんさんはいかがですか。

おのうちみん:最初は歴史を扱っているので、社会の動乱と対立が中心に描かれるのかなと思ったのですが、むしろ語りの仕掛けに驚かされました。私は歴史が好きなのですが、この時代(18世紀)は守備範囲外なんですね。わたしの好みは中世なので、ルネッサンス前なんですよ。ディドロについても、昔、少女向け物語で読んだくらいなので。

岡和田:ラクロの『危険な関係』は、さいとうちほ『子爵ヴァルモン~危険な関係~』というコミックにもなっています。

みん:それは知りませんでした。今回の発表でさまざまな参考文献を教えてもらったので、読んでいきたいなと思っているところです。

岡和田:語りの仕掛けについて、ご感想をもう少し教えていただければと。

みん:ラストまで読むと、これは果たして誰が書いているのか、誰が誰なのか、わからなくなります。そもそも、ルフォン氏や「D***」氏は実在したのか、そのあたりのレベルから、すごく曖昧な書かれ方をしていますね。『真夏の夜の夢』が下敷きにあるということでしたが、侯爵夫人は妖精の女王(フェアリー・クイーン)の役柄に当てはまるかどうかも、微妙にわからないようになっていて、揺らぎの作り方が絶妙ですね。これまでにないタイプの小説なのかもしれないなと思いました。
 あと、ジュリーの彼氏がブルターニュのナント出身じゃないですか。これはやっぱり、ブルターニュはケルトだから、妖精の話に引っ掛けているのかなと感じました。

岡和田:示唆に富むお話でした。田島さんはいかがですか。

田島淳:『醜聞の作法』という小説の記述がいつ書かれたものとして設定されているか、そのことが自分は気になりました。途中で革命を匂わせる「回天」(レヴォリュシオン)という言葉が出てきますし、最後の「こんな幸運があと十年も続いてくれるといいけどな」という台詞は、フランス革命を抜きにしては考えられません。あまりにもテクストの装いが、予言的なものとして構築されていると感じました。
 ルポルタージュのような書かれ方をしていますが、記述者は革命後の歴史を知っていて、俯瞰的に何が起こったのかを語ります。にもかかわらずそのことを、いたずらに強調するような真似はしない。このようなスタイルの意味について考えさせられました。

岡和田:いわゆる煽動家の言葉とは、正反対の語りですね。歴史性を内包させていると申しますか。次、渡邊さんお願いします。

渡邊利道:とても面白い小説でした。なんというか、佐藤亜紀という作家がいて、パンフレットのルフォンという語り手がいて、手紙の語り手の「D***」という人がいて、それぞれが、それぞれの水準、レイヤーを維持しながらでものごとを語っていて、その語りの模様がわあっと重なっていく様子が、唐草模様のようで面白いと思いました。それが最初の印象です。いま、色々な外部の枠組みをお聞きしまして、水がもとの世界に戻っていくような感触をおぼえています。

岡和田:高橋さんはいかがですか。

高橋志行:僕は昨日ようやく、全文を通読できたのですが、読みながら、ひとつだけ朗読したところがありました。『醜聞の作法』の170ページから172ページの部分です。「男」が……。

「足元がどんどん崩れて体が宙に浮いていれば、事実なんてものは今そこにあっても見えもしなけりゃ確かめられもしない。それよりは囀ることですよ。囀ってさえずってそれで我を忘れられればいいんです。倒れる巨木に巣食っている鳥が一斉に囀り出すようみたいにね。」

というところ。
 『醜聞の作法』は現代、特にパンフレットによる煽動がTwitterに準えられて読まれるケースが多いようですが、Twitterとの関わりとすると、ここが一番わかりやすく、初心者コース的に作られたところなのではないかと思いました。皆さんも、是非朗読してみてください(笑)。

岡和田:確かに、この部分は絶品ですね。

高橋:僕は最近『戦争の法』と『ミノタウロス』を読んだのですけれども、どちらも、音楽の登場がひとつの奇蹟として描かれていることに気づきました。おそらく佐藤作品における伝家の宝刀のような部分として、あるシチュエーションにおける音楽の使い方がどうなっているのか、突き詰めて考えると、面白いものが出てくるのではないかと感じました。

渡邊:お話をお聴きしてカフカの『変身』を連想しました。妹がヴァイオリンを弾いていると、虫が「ひゃあ」と出てきて、すべてがぶち壊しになるという(笑)。あれをいつも思い出してしまいます。

高橋:どこかデウス・エクス・マキナなアンチクライマックス、皮肉を感じてしまいます。『戦争の法』でいえば、ヴェルディのオペラ「リゴレット」が流れるところですね。

岡和田:音楽が身体的な手触り、痛みを呼び起こすようなところはある気がします。

奥村:本当に皆さんの感想は素晴らしくて勉強になりました。本歌取りという話、『真夏の夜の夢』からギリシア神話までモチーフを辿るということができるというお話も参考になりました。

松本:ジュリーが養子であるというのは、取り替え子だということですよね。『シテール島の船出』も、『真夏の夜の夢』も、インドのお話も、あの場面、あのモチーフに結びつくのかなと思いながら確信を持てずにいるのですが、それもまた、読者としては悩ましくも愉しいところです。

奥村:それと、編集者としては本を作る時は、どう時代と切り結ぶか、ということを常に考えなければならなくて、だから「18世紀末、フランスのTwitterは『パンフレット』だった」とちょっと変に見えるかもしれないことも帯に書いたのですが、そこも汲み取っていただけて、とても嬉しく思いました。
 直接メッセージとして書かないにせよ、佐藤さん自身に、常に同時代の問題についての批評意識が宿っている部分があって、社会の動乱と個人の力……と考えれば、パンフレット戦争はまさに「今」の話だと思うんですよ。

岡和田:Twitterのような情報環境の発達で、かえって見えづらくなっているものがあると思います。過去の歴史と今の時代を『醜聞の作法』というテクストはアクチュアルに結びつけてくれていると思いますね。

奥村:それと、佐藤さんの文章における音楽のモチーフという指摘がありましたが、佐藤さんは文章そのものが本当に音楽的ですよね。仮にすべての意味をなくしても、音として聞こえてくるだけで佐藤さんの文章は美しい。それも、文学では大事な要素ではないかと思います。

高橋:比喩としては絵画的な表現がまま登場しますが、一方で、佐藤亜紀作品において、音楽は暗黙知的なもの、短絡的な形で意味に結びつかないものとして、設定されているように思います。

岡和田:レッシングによれば絵画は空間の芸術で、イメージの奔流を視覚的に統制するシステムとして完成されている部分があるからではないでしょうか。音楽にもそうした要素はありますが、音楽は文学とはまた違った意味での時間の芸術だと私は思います。だから、構造を読み取るためには、ある程度持続的に聞き続けることが必要になります。
あくまで印象ですが、佐藤亜紀作品において音楽的なものは、むしろ身体感覚を惹起させるように機能するのかなと。『醜聞の作法』の対話の行間から立ち上がってくるものも、そのように読み解ける部分があるでしょうし、他の作品で言えば『天使』で語られる「感覚」という異能も、身体感覚の面から考えれば、その意味するところが明らかになるのかもしれません。
 それでは、時間になりました。まだまだ話し足りないことと思いますが、それは二次会で語っていただくとしまして(笑)、皆さま、どうもおつかれさまでした。

(岡和田晃)

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